エリーザベト・ファン・ナッサウ Elisabeth van Nassau

Elisabethofnassau

Unknown (17th century) In Wikimedia Commons

  • オランイェ公女
  • 生年: 1577/4/26 ミデルブルフ(蘭)
  • 没年: 1642/9/3 セダン(仏)

生涯

ウィレム沈黙公の娘で、シャルロットの2番めの娘。イングランド女王エリザベス一世が名付け親です。幼少の頃、母と父が相次いで亡くなったため、義母ルイーズに育てられます。父の死後はしばらく国内を転々とし、1590年からハーグに住みました。

ナッサウ家では、ドイツのルター派・カルヴァン派諸侯同様、フランスのユグノーとの関係を強化しておく必要がありました。1594年にエリーザベトは、義母ルイーズ・妹シャルロッテ=ブラバンティナとともにフランスに結婚相手探しに行きます。そこでルイーズの友人でもあったブイヨン公アンリ(エリーザベトの伯母にあたる妻を亡くした直後でした)からの求婚を受け、家長である異母兄マウリッツの快諾を得たため、翌年結婚しました。その後は、フランスにおけるナッサウ家の中継地となり、オランダの義母ルイーズや、同じくフランスに嫁いだ妹たちと頻繁に連絡を取りあいました。姉ルイーゼ=ユリアナの息子フリードリヒ五世や、妹シャルロッテ=ブラバンティナの子供たちを預かって育てたのも彼女です。1623年夫が死去すると、未成年の息子たちの後見となり、マウリッツのもとで軍事的な教育をさせるため、息子たちをオランダに送りました。息子は2人。

リファレンス