カタリナ=ベルギカ・ファン・ナッサウ Catharina Belgica van Nassau

Portrait of a Woman, Jan Anthonisz. van Ravesteyn (1617)

Jan van Ravesteyn (1617) In Wikimedia Commons

  • オランイェ公女
  • 生年: 1578/7/3 アントウェルペン(白)
  • 没年/埋葬地: 1648/5/5 デルフト(蘭)/デルフト・新教会

生涯

ウィレム沈黙公の娘で、シャルロットの3番めの娘。幼少の頃、母と父が相次いで亡くなったため、父の妹で子供のいないカタリナ・ファン・ナッサウに引き取られました。(叔母のカタリナは寡婦で、兄ウィレムと一緒に暮らしていました。ウィレムの死後、亡夫の領地シュヴァルツブルクに転居しています)。

叔父ナッサウ伯ヤン六世の仲介で、ハナウ=ミュンツェンベルク伯フィリップス=ルートヴィヒと1596年に結婚。フィリップス=ルートヴィヒは4歳で父親を亡くしたため、ヤン六世が後見として自分の子供たちと一緒に育てていた人物です。また、フィリップス=ルートヴィヒの母親ヴァルデック伯女マグダレーナはヤン六世の息子ヤン七世と再婚したため、フィリップス=ルートヴィヒはヤン七世の息子たちの異父兄にもあたることになります。

夫の領地ハナウは、カルヴァン派の亡命者の集まる地で、とくにフランス国王アンリ四世がカトリックに改宗して以降は、フランスのユグノーが逃れてきていました。しかしこの夫も1612年に早世し、カタリナ=ベルギカが息子たちの後見となります。1634年、三十年戦争の煽りで領地が皇帝軍に占領されたため、一家は弟のオランイェ公フレデリク=ヘンドリクを頼ってハーグに亡命し、そのまま生涯ハーグで暮らしました。ウィレムの娘たちのうち、彼女ひとりだけがデルフトの新教会に葬られているのはそのためです。

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