アドルフ・フォン・ナッサウ=ジーゲン Adolf von Nassau-Siegen

Adolf van Nassau-Siegen

Attributed to Jan Antonisz. van Ravesteyn (1609-33) In Wikimedia Commons

  • ナッサウ=ジーゲン伯 Graf von Nassau-Siegen
  • 生年: 1586/8/8 ディレンブルク(独)
  • 没年/埋葬地: 1608/11/7 クサンテン(独)/ネイメーヘン・聖ステファン教会(蘭)

生涯

ナッサウ=ジーゲン伯ヤン七世の三男。ジュネーブで教育を受け、ちょうど1601年にはフランスとサヴォイアの和平の席に居合わせて、仏王アンリ四世と会っています。長兄ハンスと同じように伯父ウィレム=ローデウェイクや叔父エルンスト=カシミールに預けられ、1604年成人後すぐオランダ共和国軍で軍務に就き、さっそくオーステンデやスライスの攻囲戦に参加しました。1606年、共和国軍の騎兵中隊長に任じられます。

オランダ軍総指令マウリッツの弟フレデリク=ヘンドリクと同世代のため、長兄ハンスやフレデリク=ヘンドリクとは常に行動を共にしていたようです。1608年、休戦条約交渉のためオランダを訪れたスペインのフランドル軍総司令官スピノラの出迎えにも、彼らと同席しています。

しかしその年、ルクセンブルク遠征の帰途、ドイツのクサンテン付近で戦闘に巻き込まれ戦死しました。

アドルフは彼を知る者誰からも愛される人物だったといいます。とくにエルンスト=カシミールは、若くして戦死した兄フィリップスと性格や志向が似ているとして、彼に非常に目をかけていました。そしてフィリップスとほぼ同じ場所で、フィリップス同様「勇敢すぎて」若年で戦死したことをとても残念がっています。

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