シャルロット=フランドリナ・ファン・ナッサウ Charlotte Flandrina van Nassau

Charlotte Flandrina

Unknown (17th century) In Wikimedia Commons

  • オランイェ公女
  • 生年: 1579/8/18 アントウェルペン(白)
  • 没年/埋葬地: 1640/4/16 サン・クロワ・ド・ポワティエ(仏)/サン・クロワ・ド・ポワティエ修道院

生涯

ウィレム沈黙公の娘で、シャルロットの4番めの娘。幼少の頃、母と父が相次いで亡くなりましたが、生来耳が不自由だったこともあり、彼女だけがフランスの祖父に引き取られました。その祖父もすぐに亡くなったため、はじめ母の従姉妹ジャンヌ・ド・シャボーに預けられ、ユグノーとして育てられます。彼女の死後、伯母ジャンヌ・ド・ブルボンのいるジュール修道院(ここはかつて母シャルロットが逃げ出した修道院でもあります)に移り、1593年に正式にカトリック教徒となりました。1605年以降はサン・クロワ・ド・ポワティエ修道院の修道院長。彼女が修道院長になってのち、修道女の数は30人から90人へと3倍に増加しました。また、オランダチーズの製造もはじめたといわれています。

彼女自身はカトリックだったものの、フランスのユグノーの貴族に嫁いだ姉妹たちとは頻繁に連絡を取り合っていました。また、弟のフレデリク=ヘンドリクとも1598年に初めて会い、個人的に手紙のやり取りをしています。しかし、厳格なユグノーであった義母のルイーズとの仲は良くなかったようです。

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