ナッサウ=ディレンブルク伯たち(ゲオルクの息子) Graf von Nassau-Dillenburg

ナッサウ=ディレンブルク伯ゲオルクの息子たちのうち、成人した3人とさらにその次世代です。ゲオルクの次兄ヤン七世の息子たち同様、三十年戦争の波に翻弄され、兄弟それぞれ別々に信教や陣営を選んでいます。

リファレンス

ゲオルク(二世)・フォン・ナッサウ=ディレンブルク Georg von Nassau-Dillenburg “der Jüngere”

  • ナッサウ=ディレンブルク伯 Graf von Nassau-Dillenburg
  • 生年: 1591/2/7 ディレンブルク(独)
  • 没年: 1616/3 サヴォイア?

生涯

ナッサウ=バイルシュタイン伯ゲオルクの長男。詳細はわかりませんが、サヴォイア軍の大佐となりました。当時サヴォイア軍に居た同世代の従兄ナッサウ=ジーゲン伯ヤン八世を頼った可能性も高いです。しかしその翌年には亡くなっています。

ルートヴィヒ=ハインリヒ・フォン・ナッサウ=ディレンブルク Ludwig Heinrich von Nassau-Dillenburg

Portrait of Ludwig Heinrich of Nassau-Dillenburg Mauritshuis 230

Anonymous (circa 1650) In Wikimedia Commons

  • ナッサウ=ディレンブルク伯/侯 Graf/Fürst von Nassau-Dillenburg
  • 生年: 1594/5/9 ザールブリュッケン(独)
  • 没年: 1662/6/12 ディレンブルク(独)

生涯

ナッサウ=バイルシュタイン伯ゲオルクの次男。幼少期はヘルボルンのアカデミー(彼の祖父にあたるナッサウ伯ヤン六世が設立)で学び、グランドツアーののち、オランダのナッサウ伯マウリッツのもとで軍事訓練を受けます。父ゲオルクの死後は弟のアルプレヒトと共同統治をしており、兄弟仲は悪くなかったようです。

三十年戦争が勃発すると、ナッサウ=ディレンブルクを含むプロテスタント・ナッサウ家は、プファルツ選帝侯フリードリヒ五世を支援したという理由で、皇帝との対立軸に置かれます。ルートヴィヒ=ハインリヒはスウェーデン国王グスタフ二世アドルフに期待し、1631年以降スウェーデン軍の連隊長として活躍しました。

が、1635年以降、突如皇帝軍に帰参します。理由もわかりませんし、改宗したかどうかも不明です。叔父(といっても2歳違い)のナッサウ=ハダマール伯ヨハン=ルートヴィヒと協同し、皇帝に取り入ってナッサウ領を回復する目的のようです。皇帝がフェルディナント三世に代替わりした1637年以降はとくに皇帝の気に入りとなり、1654年には伯から侯に取り立てられています。

アルプレヒト・フォン・ナッサウ=ディレンブルク Albrecht von Nassau-Dillenburg

Albert van Nassau-Dillenburg

Workshop of van Ravesteyn (1622) In Wikimedia Commons

  • ナッサウ=ディレンブルク伯 Graf von Nassau-Dillenburg
  • 生年: 1596/11/1 ディレンブルク(独)
  • 没年: 1626/6/26 クヴァーケンブリュック(独)

生涯

ナッサウ=バイルシュタイン伯ゲオルクの三男。1621年オランダ軍歩兵中隊長、1623年同騎兵中隊長。おそらく友軍として三十年戦争に参戦し、戦死。未婚。

アドルフ・フォン・ナッサウ=シャウムブルク Adolf von Nassau-Schaumburg

Adolf graaf van Nassau-Dillenburg-Schaumburg (1629-76) Rijksmuseum SK-A-4409

Peter Boy (between 1660 and 1699) In Wikimedia Commons

  • ナッサウ=シャウムブルク伯 Graf von Nassau-Schaumburg
  • 生年: 1629/1/23
  • 没年: 1676/12/19

生涯

ルートヴィヒ=ハインリヒの息子で、成人した中では次男。ホルツァッペル伯ペーター・メランダーの一人娘エリーザベト=シャルロットと結婚し、妻の持つホルツァッペル伯領を継承して、その中のシャウムブルクを称しました。が、自身にも娘しか生まれなかったため、ナッサウ=シャウムブルク伯としては彼ひとりで断絶してしまい、末娘の婿にあたるアンハルト=ザイツ=ホイム侯に継承されます。