ルイーゼ=ユリアナ・ファン・ナッサウ Louise Juliana van Nassau

Arolsen Klebeband 01 097 2

Unknown (17th century?) In Wikimedia Commons

  • オランイェ公女
  • 生年: 1576/7/31 デルフト(蘭)
  • 没年/埋葬地: 1644/3/14 ケーニヒスベルク(独)/ケーニヒスベルク・大聖堂

生涯

ウィレム沈黙公の娘で、シャルロットの1番めの娘。幼少の頃、母と父が相次いで亡くなったため、義母ルイーズに育てられます。父の死後はしばらく国内を転々とし、1590年からハーグに住みました。従兄のエルンスト=カシミールやローデウェイク=ヒュンテルと同世代のため影響を受けたのか、16-17歳の頃、女だてらに兄ナッサウ伯マウリッツの戦場に見物をしにいったりもしています。1593年、叔父ヤンの紹介で、プファルツ選帝侯フリードリヒ四世とハイデルベルクで結婚しました。その際に末妹エミリア=アントウェルピアーナを伴っています。結婚生活は幸せなものではなく、夫が亡くなる1610年までDVに悩まされていたようです。叔父ヤンとは頻繁に手紙のやり取りをしていました。ユーリヒ=クレーフェ継承戦争の際、ライン地方に軍を出した兄マウリッツのキャンプを訪れているようです。

長男はプファルツ選帝侯フリードリヒ五世。ボヘミア王となり、三十年戦争の発端ともなった「白山の戦い」で敗れると、一家はプファルツを追われました。この時ハイデルベルクに居たルイーゼ=ユリアナは息子とばらばらになり、二度と会うことはありませんでした。数年間各地を転々としたのち、娘エリーザベト=シャルロットの嫁ぎ先であるブランデンブルク選帝侯国に腰を落ち着け、その後はベルリンで暮らしています。

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