エミリア・ファン・ナッサウ Emilia van Nassau

Emilia van Nassau

Daniël van den Queborn (1590-1595) In Wikimedia Commons

  • オランイェ公女
  • 生年: 1569/4/10 ケルン(独)
  • 没年: 1626/3/16 ジュネーヴ(スイス)

生涯

ウィレム沈黙公の三女。母アンナが愛人と逃亡した先のケルンで生まれ、すぐに放置されたため、叔父ヤン夫妻のもとで育てられます。その後オランダに渡り、はじめはすぐ上の姉アンナとフリースラントで、アンナの死後は異母姉のマリアと、他に女友達も交えてビューレンで暮らしました。女性にしてはめずらしく学者肌で、ビューレン時代は結婚するつもりもなく、勉学で日々過ごしていたようです。1595年、姉と女友達が相次いで結婚したため、兄マウリッツを頼り、ハーグのビネンホフで女官長となりました。妻をもたないマウリッツにとっても、台所を預かる身内がやって来たのは好都合(ただでこき使えるため)であり、エミリアも宮廷経営には有能さを発揮しました。しかし間もなくエミリアは、兄や従兄弟たちに一晩中飲み騒がれたり、自分の女官たちに次々手をつけられることに悩み始めることになります。

1597年、マウリッツが遠征で留守の間、オランダにポルトガルの王子2人が亡命してきました。そのうち兄のマヌエルとエミリアはすぐに恋仲となります。エミリアは遠征地まで押しかけて、家長であるマウリッツに結婚の許可を直訴しましたが、マヌエルがカトリックであることと庶子であることを理由に、オランイェ公女の相手としてふさわしくないと却下されました。そのためエミリアは兄の留守中に秘密裏にカトリック式に結婚式を挙げ、それが発覚して幽閉されると、ハンストのうえ隙を見て逃げ出し駆け落ちしてしまいます。母アンナ同様にオランイェ家の恥を晒したと激怒したマウリッツは、エミリアへの資金援助を打ち切ったうえ、10年間の勘当を言い渡しました。エミリア夫婦は異母姉マリアの夫ホーエンローエ伯の助けで、彼の所有するデルフトの屋敷に居を構えます。

1608年頃、長兄フィリップス=ウィレムと次兄マウリッツの遺産相続争いが起こります。この話し合いの席上で、フィリップス=ウィレムの計らいによりエミリアはマウリッツと和解することになりました。その後はハーグのビネンホフのすぐ近くに屋敷を購入して、生まれた娘(マウリティア=エレオノーラ)の名付け親をマウリッツに頼んでもいます。また、夫のマヌエルもビネンホフに出仕を許され、公職につくことになりました。しかしここでの和解は、実は単にエミリアの名前で父ウィレムの遺産の分け前をプールしておくためであり、彼女の財産はすべてマウリッツの管理のもとにありました。後にマウリッツは遺言でこの時のエミリアの財産を残らず取り上げ、すべて弟フレデリク=ヘンドリクに相続させています。

エミリアはカトリックへ改宗することはなく(いったんカトリックとなったものの、カルヴァン派に再改宗したとする説もあります)、その原因もあり、1625年にマヌエルと別居することになりました。その後、病の床にある兄マウリッツの看病のため再びビネンホフに住み、その最期を看取ります。これを財産目当てとする向きもありますが、本当のところはわかりません。

マウリッツも決してエミリアに気を許しませんでしたが、その異母弟のフレデリク=ヘンドリクはさらにこの夫婦とは不仲でした。マウリッツの死後すぐに、フレデリク=ヘンドリクは彼ら一家に議会から支給されていたあらゆる年金を停止し、翌1626年にはオランダから追い出してしまいました。このときカトリックのマヌエルと息子たちはブリュッセルの南ネーデルランド執政イザベラのもとへ、カルヴァン派のエミリアと娘たちはジュネーヴへと別々に亡命しました。

成人した子供は息子2人と、娘6人。長女のマリア=ベルギカは『卒業』さながら、婚約式の真っ只中に駆け落ちし、相手に大恥をかかせてしまいました。母娘三代にわたるこのスキャンダルのため、マウリティア=エレオノーラ以外の娘たちは敬遠され、結婚はできませんでした。

リファレンス

  • Ditzhuyzen, “Woordenboek”
  • Digitaal Vrouwenlexicon van Nederland Emilia van Oranje

マウリティア=エレオノーラ・ド・ポルトガル Mauritia Eleonora de Portugal

Prinses van Portugal - Culemborg - 20051718 - RCE

Unknown (17th century) In Wikimedia Commons

  • ポルトガル公女
  • 生年: 1609/5/10 デルフト(蘭)
  • 没年: 1674/6/25 ベルヘン=オプ=ゾーム(蘭)

生涯

上記でもちょっと紹介した、伯父マウリッツの名づけ子でエミリアの五女。母エミリアの死後に単身ハーグに戻り、叔父フレデリク=ヘンドリクの宮廷に仕えることを申し出ます。フレデリク=ヘンドリクの妻アマーリアは彼女を気に入っていたため、はじめは自分の侍女としました。

のち、オランイェ公夫妻の長女ルイーズ=ヘンリエッテの教育係兼侍女となります。ルイーズ=ヘンリエッテはアマーリアにとって、外国の君主と結婚させるための格好の駒でした。が、ルイーズ=ヘンリエッテは従兄と恋仲であり、アマーリアは娘に間違いがないよう、マウリティア=エレオノーラにお目付け役(スパイ役)を命じます。職務を全うしたマウリティア=エレオノーラに、アマーリアは感謝の印に結婚相手としてナッサウ=ジーゲン伯ゲオルク=フリッツ=ルートヴィヒを紹介しました。ただ、その結婚はフレデリク=ヘンドリクの死後であることから、フレデリク=ヘンドリクには良く思われていなかった可能性も高く、また、高齢での結婚で子供に恵まれなかったため、ゲオルク=フリッツは庶子をもうけるなど、あまり幸福ではなかったかもしれません。

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