- オランイェ公女
- 生年: 1563/11/5 ブレダ(蘭)
- 没年/埋葬地: 1588/6/13 フラネケル(蘭)/レーワルデン・大教会
生涯
ウィレム沈黙公の次女。マウリッツの全姉。母アンナの行状に問題があったことから、母親からは引き離されて叔父ヤン夫婦に育てられました。1577年、従兄弟や弟マウリッツとともにオランダに渡り、父の家で、義母シャルロットのもとで暮らしはじめます。従兄のウィレム=ローデウェイクとは早くから恋仲で、父ウィレムや弟マウリッツからは祝福されていました。しかし厳格なカルヴァン派の叔父のヤンだけは、いとこ同士の結婚を良しとしませんでした。ウィレム=ローデウェイクは自らドイツのルター派・カルヴァン派諸侯(ザクセン選帝侯クリスティアン一世/ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム四世など)に父を説得するための助力を請い、1587年に晴れてフラネケルで結婚式を挙げます。しかし一年経たないうちに、アンナは流産が原因で命を落としてしまいました。彼女の宝石などの持ち物は、すべて妹のエミリアに譲られています。
レーワルデンの大教会は現在フリースラント・ナッサウ家の墓所となっていますが、最初に葬られたのがこのアンナです。
リファレンス
- Ditzhuyzen, “Woordenboek”
- Digitaal Vrouwenlexicon van Nederland Anna van Oranje