エミリア=アントウェルピアーナ・ファン・ナッサウ Emilia Antwerpiana van Nassau

Amalia, 1581-1645, prinsessa av Nassau Oranien, pfalzgrevinna av Landsberg - Nationalmuseum - 15762

Unknown (1624) In Wikimedia Commons

  • オランイェ公女
  • 生年: 1581/12/9 アントウェルペン(白)
  • 没年: 1657/9/28 ランスベルク(独)

生涯

ウィレム沈黙公の娘で、シャルロットの6番めの娘。幼少の頃、母と父が相次いで亡くなったため、義母ルイーズに育てられました。父の死後はしばらく国内を転々とし、1590年からハーグに住みました。異母姉のエミリアと区別するためか、エミリア=セクンダ(二番めのエミリア)や、アメリー(Amelie)と記述されることもあります。

姉ルイーゼ=ユリアナがプファルツ選帝侯と結婚する際、一緒にハイデルベルクまでついていきました。結婚は遅く、1617年にフリードリヒ=カシミール・フォン・ツヴァイブリュッケン=ランスベルクと結婚しました。長じた子供は息子1人のみです。しかし1620年以降、スペイン軍に包囲されたのを皮切りに、スウェーデン軍、皇帝軍によって領地が相次いで略奪されます。一家は1622年以降各地を点々と亡命することになりました。最終的に、父のウィレム沈黙公の財産のうちエミリア=アントウェルピアーナに譲られたのモンフォール城(仏モンティニー=モンフォール付近)に落ち着くことになります。

なお、1634年、姉のカタリナ=ベルギカがハーグに亡命したことをきっかけにハーグに赴き、異母弟のオランイェ公フレデリク=ヘンドリクに、この時点で生き残っている姉5人に父の遺産を分配するよう交渉し、1638年に相続に成功しました。しかしいくら亡命生活に資金が要るとはいえ、エミリア=アントウェルピアーナの使い方は尋常ではなかったようです。フランスではパリで、父親の親戚筋のシャロン領、モンフォール城一帯のモンティニー=モンフォールの領地などの継承権を主張して裁判を起こし、アントウェルペンの法廷でも、再度フレデリク=ヘンドリクから財産を巻き上げています。にもかかわらず、フレデリク=ヘンドリク死後の1648年には既に困窮に陥ってしまっています。

ウィレムの子供の中では最も長生きしたことになります。生涯をモンフォール城で暮らしました。

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