マウリッツ期

Anselm van Hulle (Attr.) - Equestrian portrait of Maurice of Nassau

Anselm van Hulle (1645-1647) In Wikimedia Commons

八十年戦争期間中の戦闘の一覧です。海戦は別項のため、ここでは陸戦のみです。

時代区分に方法については、オランダ語版ウィキペディアの一覧表と時代区分を参照しました(”Lijst van gevechten in de Tachtigjarige OorlogIn Wikipedia: De vrije encyclopedie)。オランダで採用している時代区分は、「9年」「10年」「11年」「12年」と数字で続いていくのでわかりやすいですね。

基本的に、各個別の戦闘に関しては、日本語で読める資料はほとんどありません。そのため当サイト内での更新頻度もあまり高くありません。

「十年」は、オランダ人が「庭を囲む」(=東部国境をほぼ確定した)と称すところの、オランダ側が完全攻勢な一連の攻囲戦争です。移動しながら占領していくという遠征のスタイルで、数日で落ちた都市も少なくありません。スペイン軍の老将軍たちや、ナッサウ伯たちの従兄弟、ファン・デン=ベルフ兄弟たちとの戦いもみどころです。

「十一年」は、なんといっても「ニーウポールト」の野戦と、その後のスペインの好敵手・スピノラの登場に特徴づけられるでしょう。戦績は一進一退となります。

「十二年休戦」は、休戦期なので、正式に対スペイン戦争は行われていません。

「Dutch Armies of the 80 Years’ War」では、「War for Independence」(独立への戦い)と表現されています。「反乱」期ではなくこのステージを独立戦争と表現するのはめずらしいですね。

マウリッツの「十年」 1588-1598

「十一年」の戦い 1599-1609

「十二年休戦」 1609-1621

休戦期 … 連邦共和国として公式な対スペイン戦は無し。
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G.A. ヘンティの歴史小説「By England’s Aid」より 概説部分訳 

少年向け英語歴史小説から、台詞の無い概説の箇所を機械訳(整形済)したものです。note版記事へのリンクになります。

マウリッツの十年(1) ズトフェン攻囲戦からリッペ川の戦いまで

マウリッツの十年(2) アゾレス諸島遠征からザルトボメル攻囲戦まで

ニーウポールトの戦い

オーステンデ攻囲戦

凡例

訳語は下記のとおりあてています。

  • oorlog/war = 戦争。「八十年戦争」のように総称を指すもの。
  • beleg/siege = 攻囲戦。八十年戦争期の戦闘はこれが大半です。
  • slag/battle= 戦い(野戦)または海戦。野戦・海戦いずれもslagと表記されており、あまり下記のように限定的に書かれることはないようです。日本語で「~の野戦」と書かれることはあまりないので、「~の戦い」としています。
    • veldslag/fieldbattle = 野戦
    • zeeslag/seabattle = 海戦
  • inname/capture = 占領または奪還。戦闘行為を伴わないか、または奇襲による若干の戦闘行為があった場合。
  • ontzet/relief = 解放または救援。攻囲されている側が持ちこたえた場合。
  • veldtocht/campaign =遠征。英語だと「軍事作戦」の意味が強いですが、意味内容からも、オランダ語辞書の記述に合わせています。

各戦闘は、まず下記のような表で視覚的にわかりやすく示した後、経緯などを詳述します。

戦闘名 および 日付
対戦国 flag_nl.gif オランダ / flag_en.gif イングランド flag_es.gif スペイン
勝 敗 ○・×・△で表示 ○・×・△で表示
参加者 具体的な参加者名・兵力など 具体的な参加者名・兵力など