八十年戦争期間中の戦闘の一覧です。海戦は別項のため、ここでは陸戦のみです。
時代区分に方法については、オランダ語版ウィキペディアの一覧表と時代区分を参照しました(”Lijst van gevechten in de Tachtigjarige Oorlog” In Wikipedia: De vrije encyclopedie)。オランダで採用している時代区分は、「9年」「10年」「11年」「12年」と数字で続いていくのでわかりやすいですね。
基本的に、各個別の戦闘に関しては、日本語で読める資料はほとんどありません。そのため当サイト内での更新頻度もあまり高くありません。
「十年」は、オランダ人が「庭を囲む」(=東部国境をほぼ確定した)と称すところの、オランダ側が完全攻勢な一連の攻囲戦争です。移動しながら占領していくという遠征のスタイルで、数日で落ちた都市も少なくありません。スペイン軍の老将軍たちや、ナッサウ伯たちの従兄弟、ファン・デン=ベルフ兄弟たちとの戦いもみどころです。
「十一年」は、なんといっても「ニーウポールト」の野戦と、その後のスペインの好敵手・スピノラの登場に特徴づけられるでしょう。戦績は一進一退となります。
「十二年休戦」は、休戦期なので、正式に対スペイン戦争は行われていません。
「Dutch Armies of the 80 Years’ War」では、「War for Independence」(独立への戦い)と表現されています。「反乱」期ではなくこのステージを独立戦争と表現するのはめずらしいですね。
マウリッツの「十年」 1588-1598
- 「ブレダの泥炭船」Turfschip van Breda 1590/3/3-4
- マウリッツの1591年遠征 1591
- ズトフェン攻囲戦(1591) Zutphen 1591/19-30
- デフェンテル攻囲戦(1591)v Deventer 1591/6/1-10
- デルフゼイル奪還/フルスト攻囲戦(1591) Delfzijl / Hulst 1591/7/2, 9/20-24
- クノッセンブルフ救援/ネイメーヘン攻囲戦(1591)
Knodsenburg / Nijmegen 1591/7/20-25, 10/17-21
- ステーンウェィク攻囲戦(1592) Steenwijk 1592/5/28-7/5
- クーフォルデン攻囲戦(1592) Coevorden 1592/8/16-9/2
- ヘールトライデンベルフ攻囲戦(1593) Geertruidenberg 1593/3/27-6/24
- フロニンゲン奪還 Groningen 1594/5/22-7/22
- リッペ川の戦い Lippe 1595/9/1-2
- フルスト攻囲戦(1596) Hulst 1596/6-8/18
- トゥルンハウトの戦い Turnhout 1597/1/24
- マウリッツの1597年遠征 1597
- ラインベルク攻囲戦(1597)/メールス攻囲戦
Rheinberg / Meurs 1597/8/11-20, 8/29-9/3 - フロール攻囲戦(1597)/ ブレーデフォールト攻囲戦(1597) Grol / Bredevoort 1597/9/11-28, 10/1-10/9
- オルデンザール攻囲戦(1597)/リンゲン攻囲戦(1597)
Oldenzaal / Lingen 1597/10/20-23, 10/28-11/12
- ラインベルク攻囲戦(1597)/メールス攻囲戦
- 「スペインの冬」 Spanischer Winter 1598/1599
「十一年」の戦い 1599-1609
- ザルトボメル攻囲戦 Zaltbommel 1599/5/15-6/4
- 聖アンドリース砦攻囲戦 St. Andries 1600/1/28-3/6
- ニーウポールトの戦い Nieuwpoort 1600/7/2
* ニーウポールトの戦い 番外編 - ラインベルク攻囲戦(1601) Rheinberg 1601/6/12-7/30
- スヘルトヘンボス攻囲戦(1601) Den Bosch 1601/11/1-27
- オーステンデ攻囲戦 Oostende 1601/7/4-1604/9/22
- 前期 開戦からヴィアーの撤退まで 1601/7-1602/3
- 中期 ヴィアー撤退からスピノラ登場まで 1602/3-1603/9
- 後期 スピノラ登場から開城まで 1603/9-1604/9
- フラーフェ攻囲戦(1602) Grave 1602/7/18-9/20
- ホーホストラーテンの反乱 Hoogstraten 1602/9/1-1604/5/18
- スヘルトヘンボス攻囲戦(1603) Den Bosch 1603/8/19-11/5
- スライス攻囲戦(1604) Sluis 1604/4/25-8/19
- スピノラの遠征 1605-1606
- オルデンザール攻囲戦(1605)/リンゲン攻囲戦(1605)
Oldenzaal / Lingen 1605/8/8-18 - ミュルハイムの戦い(1605) Mülheim 1605/10/9
- ヴァハテンドンク攻囲戦/クラカウ城攻囲
Wachtendonk / Krakau 1605/10/8-11/8 - ブレーデフォールト攻囲戦(1606) Bredevoort 1606/3/14-22
- フロール攻囲戦(1606年第一次) Grol 1606/8/3-14
- ラインベルク攻囲戦(1606)/ロヘム攻囲戦(1606) Rheinberg / Lochem 1606/8/22-10/1, 10/24
- フロール攻囲戦(1606年第二次) Grol 1606/10/30-11/9
- オルデンザール攻囲戦(1605)/リンゲン攻囲戦(1605)
- エルケレンツの襲撃 Erkelenz 1607/2/7
- クサンテンの夜襲 Xanten 1608/11/7
- ミュルハイムの戦い(1609) Mülheim 1609/2
「十二年休戦」 1609-1621
休戦期 … 連邦共和国として公式な対スペイン戦は無し。
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G.A. ヘンティの歴史小説「By England’s Aid」より 概説部分訳
少年向け英語歴史小説から、台詞の無い概説の箇所を機械訳(整形済)したものです。note版記事へのリンクになります。
マウリッツの十年(1) ズトフェン攻囲戦からリッペ川の戦いまで
マウリッツの十年(2) アゾレス諸島遠征からザルトボメル攻囲戦まで
ニーウポールトの戦い
オーステンデ攻囲戦
凡例
訳語は下記のとおりあてています。
- oorlog/war = 戦争。「八十年戦争」のように総称を指すもの。
- beleg/siege = 攻囲戦。八十年戦争期の戦闘はこれが大半です。
- slag/battle= 戦い(野戦)または海戦。野戦・海戦いずれもslagと表記されており、あまり下記のように限定的に書かれることはないようです。日本語で「~の野戦」と書かれることはあまりないので、「~の戦い」としています。
- veldslag/fieldbattle = 野戦
- zeeslag/seabattle = 海戦
- inname/capture = 占領または奪還。戦闘行為を伴わないか、または奇襲による若干の戦闘行為があった場合。
- ontzet/relief = 解放または救援。攻囲されている側が持ちこたえた場合。
- veldtocht/campaign =遠征。英語だと「軍事作戦」の意味が強いですが、意味内容からも、オランダ語辞書の記述に合わせています。
各戦闘は、まず下記のような表で視覚的にわかりやすく示した後、経緯などを詳述します。
対戦国 | オランダ / イングランド | スペイン |
---|---|---|
勝 敗 | ○・×・△で表示 | ○・×・△で表示 |
参加者 | 具体的な参加者名・兵力など | 具体的な参加者名・兵力など |