オランダ共和国とスペインおよび南ネーデルランド執政府の間の停戦、十二年休戦条約(1609-1621)の期間中、オランダ側は宗教論争が持ち上がって内乱寸前の状態になり、若干ざわついています。実際、オランダが文化の「黄金時代」を誇るようになるのは、戦争中とはいえ1630年代になってからのことです。
逆に南ネーデルランドでは、「大公たち」と呼ばれた執政アルプレヒトとイザベラ夫婦のもと、彼らの望んだような比較的平和な時代が続きました。アントウェルペンの商業的復活は望めなかったものの、とくに芸術文化の復興・発展がめざましいものとなりました。もっとも、戦争に使っていた費用をこちらに回しただけともいえますが。この期間中、夫妻は一般民衆たちにも非常に慕われました。公私両方を描いたものに一緒に納まっていて、プライベートでも行動を共にすることが多かったのは間違いないようです。
夫妻は休戦に伴って、ルーベンスやヤン・ブリューゲル(父)をはじめとした多くの画家やクーベルヘルなどの建築家を宮廷に呼び寄せ、パトロンにもなっています。ここでは、そんな画家たちがその絵画の中に描き入れた大公夫妻の様子から、当時の南ネーデルランドの雰囲気を垣間見てみます。なにぶん人物の比率が小さいので、クリックで拡大してみてください。
こちらもご参考。
- 宗教論争からクーデターへ 十二年休戦条約中のオランダ共和国の情勢
- オランダのロイヤル・コレクション事始め スタットハウダーたちと芸術との関わり
離宮での生活
テルヴューレン城を背景にした大公(上)/マリーモン城を背景にした大公妃(下)
アルプレヒトとイザベラが好んで居住したのが、ブリュッセルのクーデンベルフ宮殿、ブリュッセル近郊のテルヴューレン城、そしてさらに郊外のマリーモン城です。ふたりはこの2つの離宮に頻繁に訪れており、その風景とともに描かれた対の肖像が上記のものです。
これら離宮での私的な滞在中、大公夫妻は飾り気の無いラフな格好で、供回りもそれほど多くありません。美しい自然の風景もさることながら、オフのリラックスして過ごしているムードが伝わってきます。
北から見たマリーモン城
さらに、ヤン・ブリューゲル(父)の風景画には、離宮のマリーモン城を舞台にしたものがいくつもあります。ブリューゲルの風景画に登場する人物たちは大抵モブですが、これらの絵画では明らかに大公夫妻であることがわかるように描かれています。
随臣たちを連れて徒歩で散歩する大公夫妻。門構えから見て、こちら側が城の裏口と思われます。右側で農民たちが挨拶していますが、かしこまった感じはなく非常にカジュアルです。
マリーモン城の見える風景(望遠鏡)
「軍用望遠鏡」の記事にも挙げた絵画。小人数での狩りまたは散策の途中の山道から、アルプレヒト大公が城のほうを望遠鏡で眺めています。
大公妃の散策
こちらは大公妃のピンの図。マリーモン城の付近を女性たちだけで散策…というよりは、干し草刈りのようです。
テルヴューレン城の公園
こちらはテルヴューレン城の景色。護衛、といえるような装備の召使はいませんね。
婚礼と大公夫妻
どちらの城かはわかりませんが、ガーデンウェディングに招かれた大公夫妻。こちらは物騒な護衛もたくさんいますが、それを差し引いても農民たちと相当に近い距離での交流を描いています。
イベント
日常の風景ではなく、年中行事に描かれた大公夫妻です。
ブリュッセルのオメガング(1615/5/31)
「オメガング」とは、もともと14世紀には教会行事だったものが、カール五世と王太子時代のフェリペ(二世)のブリュッセル入城(1549年)の行列を模したイベントとなったもので、現在でも続いています。イザベラ大公妃直系の祖父と父を祭るものなので、この1615年のオメガングもイザベラが主催しているのだと思います。この絵は6枚の連作のうちの1枚。様々な趣向を凝らした山車が描かれていますが、イザベラ大公妃の山車(おそらく最前列右から2番め)のほか、カール五世を讃える山車(おそらくいちばん奥の右端の大きいやつ)もあるそうです。
「オメガング」についてはこちら。
ommegang.be 公式サイト(蘭・仏)
クロスボウ・トーナメント
オメガングに先立つ1615/5/15におこなわれたクロスボウギルドによるトーナメントとのこと。大公妃は教会の前のテントの中に居ます。
アントウェルペンのキップドルフ門外堀での氷上謝肉祭
アントウェルペンのカーニバル。そもそもマスカレードなので人物の特定がされていないのは当然といえば当然ですが、逆にいえば誰か含まれていても不思議はありません。まだ運河が凍っている時期のため、スケートをしながら、というめずらしい一場面になっています。右上のほうの土手の上には、護衛をつけたご婦人方の見物席があります。ひとりいちばん右に離れて座っているのが大公妃かもしれません。
ブリュッセル宮廷の舞踏場
宮廷の様子。バレエを踊っているのはオランイェ公フィリップス=ウィレムとその妻エレオノール。1610年の絵画ということで、エレオノールの弟であるコンデ公夫妻らしき人々もいます(「ユーリヒ=クレーフェ継承戦争(1609-1614) 番外編」参照)。スピノラ将軍、と思われる人物と一緒に居る女性はたぶん奥方ではない…でしょうね。
芸術品コレクション
こちらは屋内の日常を描いたもの。キャビネット、とか、ギャラリー、とかよびますが、芸術の収集家はこのような展示室をもっていて、愛好家たちが互いに招きあったりしていました。芸術家自身も展示室を設け、収集物と自分の作品の両方を紹介し、販売したり交換したりしています。ここに挙げたものはすべてアルプレヒト大公の亡くなった後に描かれたものです。
コレクターの展示室を訪れた大公たち
中央で夫妻に説明をしているのがおそらくこの展示室の主人。このコレクターが誰かはわかりませんが、絵画だけではなく、彫刻、楽器、地球儀、いわゆる珍品(右の地球儀のあるテーブルに貝殻やら何やらのがらくたがあります)など多種多様にめずらしいものを集めています。猿や花も南アメリカやアフリカ産のものでしょう。
大公妃イザベラのサロン内部
こちらは大公妃自身の収集室。有名な収集家たちと比べるとちょっぴりこじんまりした部屋です。右端中央には、大公夫妻を描いた一対の肖像画が掛けられているのがわかります。中央やや左に座っているイザベラは修道女姿なので、他の2枚と違ってアルプレヒト大公の存命中のシーンを描いたものではないとわかります。
コルネリス・ファン・デル=へーストのギャラリー
コルネリス・ファン・デル=へーストはアントウェルペンの香辛料商人で、画家のパトロンとして多くの美術品をコレクションしていました。こちらは油彩と彫刻がメインのギャラリーです。絵を指差しながらファン・デル=へースト自身が絵の薀蓄を語る前で、絵の左下側には大公夫妻、大公に説明を補足するように話しかけているのが画家ルーベンス、さらにその後ろに立っている帯帽の人物はポーランド王太子ヴワディスワフ(のちの4世)です。壁に掛かっている絵画の中にもルーベンスの作品がいくつか見られます。
これらの展示室を描いた絵画はひとつのジャンルとしても確立されています。このような絵画のもうひとつの重要な点は、絵画内の絵画も精巧に模写されていることです。中には、現代までの400年の歴史のうちに窃盗・略奪・破壊などで消失してしまった絵画もあります。それらの研究目的にも有用なジャンルであるといえます。
リファレンス
記事中に挙げた参考URL以外については以下のとおり。
- ヒュー トレヴァー=ローパー『ハプスブルク家と芸術家たち』 、朝日新聞社、1995年
- ヒュー トレヴァー=ローパー『絵画の略奪』 、白水社、1985年
- フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行―昔日の巨匠たち』 、岩波書店、1999年