ウェイブラント・デ・ヘーストの集団肖像画

John, Count of Nassau-Siegen with his family, by Anthony Van Dyck

Van Dyck (1634) ヤン八世と家族の肖像 In Wikimedia Commons

17世紀のバロック絵画で「集団肖像画」というと、オランダ画家だとフランス・ハルスに代表されるような、レヘント・議員たち・市民軍など、横並びの集団を扱ったものが一般的です。貴族の場合は、フランドル画家ヴァン・ダイクに代表されるような家族肖像画がありますが、こちらは大抵が一家族(親子・夫婦・兄弟)で、子供が多い場合以外はあまり人数も多くなく、世代もせいぜい三世代、二親等くらいまでがほとんどと思われます。

そこいくと、ナッサウ家は案外特殊なのでは…と思うに至りました。従兄弟・又従兄弟を含め五親等くらいまでが一緒の肖像に納まっていたり、その中に故人までが描き入れられていることもあります。中でもフリースラント・スタットハウダー周りを扱ったデ・ヘーストの作品がよく見られるので、ここにまとめておくことにしました。

姉妹記事: ホフフェイファー前とファン・デ・フェンネのカヴァルケイド

ウェイブラント・デ・ヘースト

Wybrand de Geest, zelfportret

Wybrand de Geest (1629) 自画像 In Wikimedia Commons

ウェイブラント・デ・ヘーストはフリースラント出身のステンドグラス職人の息子。とはいえ、フランスやイタリアにグランドツアーに行ってますから、それなりに裕福な環境だったと思われます。ローマではオランダ出身の画家サークルに入って技を磨き、その後1622年に結婚(レンブラントの妻サスキアの姪)しているので、この頃には故郷に戻っていたと考えられます。すぐにフリースラント州総督に雇われたといいますが、おそらくエルンスト=カシミールの時代になってからでしょう。

デ・ヘーストの集団肖像画

現在ホテルとなっているレーワルデンの州総督の館を中心に、デ・ヘーストの描いたフリース=ナッサウ家の集団肖像画が多数残されています。エルンスト=カシミールの叔父たちであるナッサウ=ディレンブルク伯たち、兄弟たちなど、故人の集団肖像画が目立ちます。オランイェ公マウリッツがラーフェステインに描かせた各故人の肖像などを参考にしていると思われます。さらに、息子世代がそれなりに育った後の肖像もあるので、エルンスト=カシミールの死後も息子のヘンドリク一世カシミール(または妻のゾフィー=ヘートヴィヒ)に引き続き重用されたのがわかります。

ナッサウ家家系図はこちら

Counts of Nassau

Wybrand de Geest (circa 1630) In Wikimedia Commons

アムステルダム国立博物館所蔵の、ウィレム沈黙公の弟たちを描いたもの。左から、

  • ナッサウ伯ルートヴィヒ
  • ナッサウ伯ヤン六世
  • ナッサウ伯アドルフ
  • ナッサウ伯ハインリヒ

Portret van Willem Lodewijk, graaf van Nassau-Dillenburg, Filips, graaf van Nassau, Ernst Casimir, graaf van Nassau-Dietz, en Lodewijk Gunther, graaf van Nassau, RP-P-OB-106.237

Wybrand de Geest (17th century) In Wikimedia Commons

ヤン六世の息子たちを描いたもの。「沈黙公の弟たちの絵」と対比するような構図なのもおもしろい。年代がわからないので微妙ですが、エルンスト=カシミールも戦死後の作品かもしれません。(というのも、兄弟の年齢差が実際と合ってなく、どうやら死んだ時点での年齢っぽい)。左から、

  • ナッサウ伯ローデウェイク=ヒュンテル
  • ナッサウ=ディレンブルク伯ウィレム=ローデウェイク
  • ナッサウ=ディーツ伯エルンスト=カシミール
  • ナッサウ伯フィリップス

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Wybrand de Geest (17th century) In Wikimedia Commons

上記「ヤン六世の息子」の中には描かれていないヤン七世。その息子たちの絵。ここからも、基本的にオランダを活動の中心としているナッサウ伯だけをピックアップして描かれていることがわかります。しかも、このうち2人は故人(もしかしたらアルベルトも死後かも)で、ヤン八世に至っては敵方の将軍です。だからヤン八世だけ離れて描かれているのかもしれません。描かれた年代よりもだいぶ若い頃を想定してあり、「ヤン六世の息子」の絵とは違って彼らの実際の年齢差に揃えてあるようです。左から、

  • ナッサウ=バイルシュタイン伯アルベルト(彼だけナッサウ=バイルシュタイン伯ゲオルクの息子)
  • ナッサウ=ジーゲン伯ハンス一世エルンスト
  • ナッサウ=ジーゲン伯アドルフ
  • ナッサウ=ジーゲン伯ヤン八世

Groepsportret van Willem van Nassau-Siegen, zijn broers en zijn zoon

Attributed to Wybrand de Geest (1635-1640) In Wikimedia Commons

3名はヤン七世の息子。さらにその一人息子。ヒルヒェンバッハ元帥は年長組(ハンス・アドルフ・ヤン八世と母親が同じ)で、マウリッツ=フレデリクはその一人息子です。カロの戦いで捕虜且つ未成年にも関わらず殺害されます。ヴィルヘルム=オットーはスウェーデン軍、クリスティアンは皇帝軍に所属しており、絵の描かれた時点でヒルヒェンバッハ元帥を除き全員オランダにいるかは微妙なところ。左から、

  • ナッサウ=ジーゲン伯ヴィルヘルム=オットー
  • ナッサウ=ジーゲン伯クリスティアン
  • ナッサウ=ヒルヒェンバッハ伯ヴィルヘルム
  • ナッサウ=ヒルヒェンバッハ伯マウリッツ=フレデリク

Schilderij- H.Prins van Nassau -H.Prins van Nassau- Georg Prins van Nassau -Willem Prins van Nassau - Leeuwarden - 20130988 - RCE

Wybrand de Geest (17th century) In Wikimedia Commons

ヤン七世の息子のうち母親の違う若年層、およびエルンスト=カシミールの息子たち。ここに至ってはじめて、全員存命中に描かれたものと思われます。ナッサウ=ディーツ伯2人を若干大きめにしてあるのは、直接のパトロン筋への配慮でしょうか。左から、

  • ナッサウ=ジーゲン伯ハインリヒ
  • ナッサウ=ディーツ伯ヘンドリク一世カシミール
  • ナッサウ=ジーゲン伯ゲオルク=フリッツ
  • ナッサウ=ディーツ伯ウィレム=フレデリク

Johan Maurits van Nassau en Johan Ernst van Nassau - Leeuwarden - 20130991 - RCE

Wybrand de Geest (17th century) In Wikimedia Commons

さらにヤン七世の息子のうち2人をとくに選び出して描いたもの。この2人の共通点は、WICに雇われて1637年以降ブラジルに派遣されたことで、おそらく渡航前の壮行目的で描かれたものと推測されます。ここに描かれたハンスはまだ若年で兄の盾持ちのようですが、若くしてブラジルで命を落としてしまうことになります。左から、

  • ナッサウ=ジーゲン伯ハンス二世エルンスト
  • ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン=マウリッツ

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