ベームステル干拓地 Droogmakerij de Beemster

"Agri Biemstrani Descriptio a L.I.S." (22247591422)

Juan Blaeu (1659) ベームステル干拓地 In Wikimedia Commons

ベームスター干拓地(ドゥローフマーケライ・デ・ベームスター) 1999年
オランダ最古の開拓地 (「世界遺産検定」より)

ベームステル干拓地 400周年

De Beemster voor de inpoldering (3381208155)

Pieter Cornelisz. Cort (1607) ベームステル湖(干拓前の図) In Wikimedia Commons

学校の地理でも「ポルダー(干拓地)」という単語は習いますが、その栄えあるオランダ最古のもの。1602年にオランダ東インド会社が設立され、オランダの海運はますます発展し、長期航海や航行数も増えてきました。急激な航海の増加に伴い、船舶に積み込む船員用の食料が不足します。1607年にアムステルダムの商人やハーグの高官らに出資を募って「ベームステル会社」が設立され、農地開拓のための工事が始まりました。当初から穀物栽培用を想定されているため、合理性や収益性が考慮され、画像のような碁盤の目状の区画に区切られています。

1612年5月19日、「歩いたりテントを張ったりできる程度」になったとして、工事は完成とされました。その後この新しい土地には邸宅が建設されたりなど、土地そのものの販売益も高く、会社としての配当も17%とけっこうなものだったようです。

2012年はベームステル干拓地完成から400周年にあたります。(既に特設サイトは閉鎖されています。)

レーフワーテル

Jan Adriaanszoon Leeghwater

レーフワーテル In Wikimedia Commons

ヤン=アドリアーンスゾーン・レーフワーテル(1575-1650)はオランダの建築家・水利技術者で、風車の建設と干拓の専門家。干拓地に隣接するデ・レイプの生まれです。「レーフワーテル」は「水を汲み出す」の意味で、職業がそのまま苗字になっています。1605年頃、特許が認められたのを期に姓を登録したようです。

1607年以降、このベームステル干拓地の干拓工事の総監督。数学者シモン・ステフィンの発明を用い、複数の風車を連動させて水を汲み上げました。このオランダ初の干拓地の成功を受け、その後30年以上にわたってこの仕事を続け、数々の干拓を手がけています。

両ナッサウ伯の訪問

1612年5月、干拓成功の記念として、デ・レイプの参事会はナッサウ伯マウリッツとフレデリク=ヘンドリクの兄弟を招待することにします。彼らがこのような技術に非常に関心が高いことをよく心得ており、且つ、箔付けの意味合いもあったものと思われます。そもそも1605年のレーフワーテルの特許も、彼らナッサウ伯たちの前でデモンストレーションをおこなって受けた特許だったため、既知の関係だったというのも大きかったでしょう。訪問が実現したのは1612年7月4日。干拓地の内と外を結ぶ橋がまだ建設されていなかったため、急遽ボートで浮き橋をつくり、干拓地内へと入りました。

干拓地では挨拶が済むと、特別に誂えられたテント内で昼食会が催されました。同じくシモン・ステフィンに教えを受け、土木に関しても玄人はだしのマウリッツとフレデリク=ヘンドリクなので、レーフワーテルは嬉しい質問攻めに遭ったようです。なお、おそらくこのときの出会いがもとになり、1629年のスヘルトヘンボス攻囲戦で、フレデリク=ヘンドリクはレーフワーテルを技術顧問として招聘し、オランダではやはり初の人為的な「洪水線(堤防決壊)戦術」を用いました。

1612/7/4 ナッサウ伯兄弟訪問についての記事。

さっそくマウリッツはよそ様(平民)の婚約者をナンパしてるっぽいですが…。

Molen 1632. originele pentekening van Leeghwater. aanwezig in het Archief van het Waterschap de Beemster te Purmerend. - Beemster - 20029482 - RCE

レーフワーテルの自筆スケッチ(1632) In Wikimedia Commons

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