シモン・ステフィン Simon Stevin

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Unknown (1926) In Wikimedia Commons

  • 科学者、数学者、技術者、(オランダ軍補給隊将校)
  • 生年: 1548 ブリュージュ(白)
  • 没年: 1620 ハーグまたはレイデン(蘭)

生涯

オランダの著名な学者。自然科学・数学・物理学・測量学・築城術・簿記論・音楽理論など多方面に通じ、『十進法(1585)』『流体静力学(1586)』『要塞建築(1594)』など著作も多数残しました。オランダ語を「自然科学を著すのに最も合理的な言語」とし、当時ラテン語が主流だったのに反して、著作のほとんどをオランダ語で書いています。が、逆に現代ではそれがステフィン研究の若干の弊害となっていることも否めません。しかし当時においては、オランダの一般的な商人・軍人・水夫などでも読めるものとして、オランダの知的レベルの上昇に寄与しました。

一時期アントウェルペンで商務員を経験したのち、欧州旅行の末、三十代でレイデンに移住したとされます。実はステフィンはレイデン大学の正式な教授となったことは無く、大学内で授業をする権利のみが与えられていました。ちょうどステフィンの移住とほぼ同時に、まだ少年のナッサウ伯マウリッツがレイデン大学に入学しました。ステフィンが正式に連邦議会から補給隊将校(主計長)に任じられたのは1604年ですが、既に1593年からマウリッツの正式な私的軍事技術アドバイザーとして戦場にも同行していました。ちなみに将校というのはあくまで給与目的の役職と思われ、直接兵を指揮したりするわけではありません。高い地位ではありませんが、ステフィン自身がこのポストを非常に気に入って、昇進も昇給も決して求めなかったとのことです。

ステフィンは研究室の研究者というよりは、どちらかといえば徹底的に現場主義な技術者で、モットーは「奇蹟は奇蹟にあらず」。戦場では築城・攻城・砲撃・土木の技術指導をし、海においては、のちにはマウリッツがすべてのオランダ人船長に義務付けたともいう航法『航行術(1599)』も著しました。1600年にはマウリッツの肝いりで将校のための技術学校を開設し、戦争のない冬季に実践的な講義を行いました。また、「帆かけ戦車」などの戦場用の輜重用具も開発しています。

私的な生涯については詳細は不明ですが、妻との間に2人の子供がいました。また、政治家のオルデンバルネフェルトや法律家グロティウスとも懇意にしていたようです。

リファレンス

  • クラース・ファン・ベルケル(塚原東吾 訳)『オランダ科学史』朝倉書店、2000年
  • University Leiden, “Personen