ザイリヘム卿コンスタンテイン・ホイヘンス Constantijn Huygens

Constantijn Huygens (1596-1687), by Michiel Jansz van Mierevelt

Michiel Jansz. van Mierevelt (1641) In Wikimedia Commons

  • ザイリヘム卿 Heer van Zuilichem、詩人、音楽家、政治家、外交官
  • 生年: 1596/9/4 ハーグ(蘭)
  • 没年/埋葬地: 1687/3/28 ハーグ(蘭)/大教会

生涯

90歳と長寿で、フレデリク=ヘンドリク、ウィレム二世、ウィレム三世と三代に渡ってオランイェ公の顧問を務めました。また数ヶ国語を操り、詩人・音楽家・外交官と非常に多才だったため、その功績も多岐にわたります。若年期から外国の王侯からの評価も非常に高く、1622年に英国王ジェームズ一世からナイトの称号を得、1632年には仏国王ルイ十三世からサン・ミッシェル騎士に叙されています。

1620年、最初イングランド大使カールトン、次いでベネチア大使アールセンに仕えて各国で外交官の修行を積み、頭角を現しました。この頃から詩人としても活躍を始め、生涯公私にわたって親交を深めたカッツともこの頃出会っています。1625年からはオランイェ公フレデリク=ヘンドリクの秘書官となり、一貫して親オランイェ派としてカッツらとともに内外政に関わりました。第一次無総督時代にも、ウィレム三世の養育に携わったり、オランイェ家復権のため各国に働きかけをおこなっています。

交友関係も広く、画家レンブラント、哲学者デカルトなどの多くの文化人をはじめ、ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン=マウリッツとも親交がありました。政治家としての活動に一息ついた時期、つまりフレデリク=ヘンドリクやその息子のウィレム二世をはじめ、これらの友人たちの何人かが亡くなった1647年以降と、オランイェ家が州総督に復帰し、長男コンスタンテインがウィレム三世に仕えはじめた1672年以降、著作活動が活発化しています。

子供は息子4人と娘1人。長男コンスタンテインは前述のとおり、ウィレム三世(英国王ウィリアム三世)の秘書官として父を継ぎました。次男クリスティアーンは物理学者・天文学者。「ホイヘンスの原理(ホイヘンス-フレネルの原理)」で有名な、あのホイヘンスです。

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