スピノラ家にはトリビアがいくつかあります。ここでまとめて書いておきます。
メイン記事はこちら → ロス=バルバセス侯アンブロジオ・スピノラ
スピノラ家はもともと十字軍の頃に興ったたジェノヴァの家系。16世紀までに銀行家として名を挙げました。莫大な資金があったため、アンブロジオも傭兵隊長として9,000名もの兵を自費で集めることができました。スピノラ家は銀行業の他に枢機卿などの聖職者を何人も輩出している家系であり、アンブロジオ兄弟のように傭兵稼業をした者は一族ではめずらしいといえます。
ベラスケス『ブレダの開城』
「ブレダの開城」参照。
ガリレオの望遠鏡
「軍用望遠鏡」参照。
イタリアオヤジ
「マウリッツ公とスピノラ侯の愛人たち」参照。
「スピノラが二番め Spinola is de nummer twee」
マウリッツとスピノラに関して必ず出てくるエピソード。下記『アラトリステ』作中でも紹介されています。
夕食の席上で、「現在ヨーロッパで最も優れた軍事司令官は誰だとお考えか」と問われたナッサウ伯マウリッツが、「スピノラが二番め」と答えたというもの。もちろん言外の意味は推して知るべしですが、案外、本当に素で、ほかに一番と考える人物が居たのかもしれないとも思います。これに限らず、マウリッツの夕食時の発言は面白いものが多いです。
ちなみに、自身も戦士だったフランス国王アンリ四世は、マウリッツのほうを「当代一の軍事司令官」と称しています。
スピノラとルーベンス
スピノラと画家のルーベンスは、お互い友人と認め合う関係です。それぞれ互いのことを称してこう言っています…。
スピノラ 「ルーベンスの功績のうち、絵画がいちばん取るに足りないものだ」
ルーベンス 「スピノラ侯の芸術に対する知識は馬丁の少年にも劣る」
Lamster,M., Master of Shadows
ルーベンスは外交官としても秀でていたので、スピノラの台詞はそれを賞賛して言ったものだとは思いますが、図らずもルーベンスの言うような審美眼の無さを自ら露呈してしまってるだけのような気も。逆にいえば、ルーベンスはお高く止まっている貴族たちからは毛嫌いされていたので、こんな失礼なことを(面と向かってではないにせよ)言っても平気なほどスピノラとの関係はカジュアルなものだったのでしょう。
『アラトリステ』
小説『アラトリステIII』「ブレダの太陽」 では、ブレダ攻囲戦の司令官であるスピノラが主人公アラトリステの上官として登場します。アラトリステとの会話もありますが、司令官と一兵卒の会話のかみ合わなさが強調されています。スピノラのイメージが若干変わる…というより、当時の貴族や司令官は誰であれこんなものではないかと思われます。
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』はスピノラ家が所有していたらしいよ、と中世史の専門家がちらっと言っていたので、我が家にあった下記のドイツ語版でちょっと調べてみました。入手したのはまさにアンブロジオ将軍その人、そしてスピノラ家が所有しジェノヴァにあったことは間違いないようです。その後サヴォイア公ヴィットーリオ=アメデーオ二世に贈られたとのことです。
『ベリー侯の豪華時祷書』『ベリー公のいとも美しき時祷書』の名前で日本語版も過去に出ていますが、現在いずれも非常に希少で高価になっております。画像だけで問題なければ、現在はWebですべてのページが閲覧可能です。
Très Riches Heures du Duc de Berry Wikimedia Commons
スピノラ家が所有していたという説は、18世紀に装丁されたスピノラ家の紋章入りの版に起因するようです。他、もともとサヴォイアの所有で、一度もイタリアを出たことがないという説もあります。アンブロジオ将軍が入手したのは、最晩年の1630年、マントヴァ継承戦争中といわれていますが、この時期ほぼ一文無しになってしまったスピノラ侯がこのような高価な品を購入できたかどうかという点についても疑問が持たれているとのことです。
「パラッツィ・デイ・ロッリ」
16世紀後半のスピノラ家の館を含む42の建築群が、2006年7月にユネスコの世界遺産に登録されています。下記は政府観光局による解説と、42の館群の英語版リスト。42件のうち、スピノラの名の冠してある館は7件あります。
- TBS世界遺産 ジェノヴァ/レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度(イタリア)
- 「Palazzi dei Rolli」In Wikipedia, the free encyclopedia
余談
現在、スピノラ家の子孫が、ペルージャ近郊でファームステイの農場を経営しているようです。
Agriturismo “I Mori Gelsi” – Fattoria Spinola –
リファレンス
記事中に挙げた参考URL以外については以下のとおり。
- Lamster,M., Master of Shadows, Anchor, 2010
- ウィルソン『オランダ共和国(世界大学選書)』、平凡社、1971年
- ヨハン・ホイジンガ『レンブラントの世紀―17世紀ネーデルラント文化の概観(歴史学叢書)』、創文社、1968年