- 芸術家、哲学者
- 生年: 1607/11/15 ケルン(独)
- 没年/埋葬地: 1678/5/4 ウィーウェルト(蘭)
生涯
17世紀のオランダの女性は、一般的に識字率も高く非常に高度な教育を受けていましたが、その中でも筆頭の第一人者として挙げられる女性。1636年、女性として初めてユトレヒト大学での聴講を許されました。十数ヶ国語を操り、文学だけではなく音楽や芸術にも秀でていて、肖像画や版画などの作品を残しています。さらに昆虫学・地理学・天文学・歴史学・言語学・神学にも非凡な才能を示していました。
そのため、彼女と学術的な交わりのあった人物たちも錚々たるメンバーです。ヤーコプ・カッツやコンスタンテイン・ホイヘンスなどの政治家兼文学者、フーティウスやヘインシウスなどの神学者、哲学者デカルト、さらにプファルツ選帝侯女エリーザベトやスウェーデン女王クリスティナとも親交があります。とくにエリーザベトとはエリーザベトがローティーンの頃からの学友でした。
晩年はラバディストの中心的人物として知られます。提唱者のド・ラバディの死後、神秘主義として迫害されていたこの教団を指導しました。一時期、かつての学友であったエリーザベトが院長を務めるヘルフォルト修道院に保護を求めたこともあります。最終的には、コルネリス・ファン・アールセンの3人の娘(アンナ、マリア、ルシア。いずれもラバディスト)の領地であるフリースラントのウィーウェルトに身を寄せ、そこで亡くなっています。
リファレンス
- 山田弘明(訳)『デカルト=エリザベト往復書簡』講談社学術文庫、2001年
- Digitaal Vrouwenlexicon van Nederland Schurman, Anna Maria van
- “ADB“