オランダ共和国陸軍元帥リストに続き、騎兵大隊および大隊長リストを作成してみました。こちらも暫定版です。「八十年戦争期のオランダ軍とフランドル方面軍」の「階級とトップ・コマンド」の表にある「騎兵大隊」「連隊」が対象です。騎兵大隊長もタイトルとしては歩兵連隊長と同じ「Kolonel / Colonel」、または「Ritmeester」と表記します。当サイト内では区別のため、1635年までは敢えて大隊長と記載することにしました。17世紀のオランダ共和国軍については、「総司令官」と「元帥」にあたる人物が各1名ずつしか存在しないため、大隊長が実質上の「将軍」に近い扱いとなります。
マウリッツ公がコレクションしていた画家ラーフェステインによる将校たちの肖像(「オランダのロイヤル・コレクション事始め」参照)の、人物の特定がされていない「ある将校の肖像」の中に、おそらく大隊長たちはたくさん含まれているはずです(騎兵の格好の将校が多いので)。彼らは知的水準が高いうえ騎兵の場合は馬の扱いも求められるため、その意味でも幼少期から基礎教育を受けている貴族出身者が多いといえます。
この記事では騎兵のほか、砲兵隊と護衛隊も記載しました。護衛隊は歩兵ではありますが中隊からだいぶ後半に連隊になったものなので、規模の面からこちらに分類しています。
大隊自体は反乱期からありましたが、ここでは共和国成立の1588年を起点にし、1648年のミュンスター条約までの60年間としました。騎兵が連隊になったのは1635年から。それまでに存在した12大隊のうち9大隊をまとめて連隊としましたが、名目のみで、騎兵の性格上もあまり連隊単位としては行動しなかったようです。ミュンスターまでにはその後2連隊追加されます。便宜上付番しましたが、おそらく実際はそう呼ばれていない可能性が高いので引用注意。とにかく人物の情報が少なく、特定に手間取りました。
<凡例>
人物未特定 … 空欄
特定したものの情報不足 … 原語スペルのまま、または「?」を付記
死亡による代替わり … 「†」
名ばかり連隊長(代行者あり) … ()カッコ書き
その他、空位、新設、廃止等は()カッコ書き
歩兵連隊長と兼任 … 太字
オランダ騎兵大隊
騎兵にとってもその装備の過渡期にあたるため、装備別に編成されました。ナッサウ伯たちの研究にしたがって、槍騎兵(ランサー)、火縄銃兵(アルケブッシャー)、カービン銃兵(カラビニエール)、ピストル騎兵(ライテル)、胸甲騎兵(キュイラシエール)へと変遷していきます。騎兵っていったらフランスだよね!って風潮は当時からあったらしく、フランス騎兵が重用されました。
第一大隊 (CV577a)
1594年のフレデリク=ヘンドリクは10歳。リスト中のどこにもローデウェイク=ヒュンテルの名がないことから、彼が従弟の代理で確定でしょう。ナッサウ家としての「格」によって、この2人が「騎兵大将 Generaal der Cavalerie」のタイトルを保持していると思われます。リンブルク=シュティルム伯は第十大隊長も兼任していたことから、1年後には弟が任命されます。
- 1594 (ナッサウ伯フレデリク=ヘンドリク:代行あり)
- 1594? (代行:ナッサウ伯ローデウェイク=ヒュンテル†)
- 1625 リンブルク=シュティルム伯ヘルマン一世オットー(兼任)†
- 1626 リンブルク=シュティルム伯ウィレム=フレデリク?
- 1635 ダルマンヴィリエール卿アンリ・ド・ベーリンゲン?
- 1644 ドーナ伯クリスティアン=アルベルト
第二大隊 (CV585a)
- 1589 ダウン=ファルケンシュタイン伯ヨハン=フィリップ?
- 1591 フフテンブルク卿ヨハン†
- 1593 ニコラース・シュメルツィング†
- 1629 ザルム伯フリードリヒ=マグヌス
第三大隊 (CV588a)
バックス弟の隊。ベルヘン=オプ=ゾーム攻囲戦の年に作られます。
- 1588 マルセリス・バックス(弟)†
- 1617 Robert de Ruelle?
- 1622 Willem van der Reydt?
- 1641 ソメルスデイク卿コルネリス・ファン・アールセン
第四大隊 (CV588b)
バックス兄の隊。ベルヘン=オプ=ゾーム攻囲戦の年に作られます。マルケット卿は歩兵のワロン連隊を譲ったので騎兵に転向です。
- 1588 パウルス・バックス(兄)†
- 1606 マルケット卿ダニエル・デ・ハルタイング
- 1626 Vincent van IJsselstein?
第五大隊 (CV591a)
スターケンブルックはフレデリク=ヘンドリク時代に活躍しますが、こんな若い頃からトップ張ってました。
- 1591 トマス・ファン・スターケンブルック†
- 1644 リソワーレ卿ラモラール・ファン・デル=ノート
- 1644 オランイェ公ウィレム二世(兼任)
第六大隊 (CV598a)
- 1598 Jaques de Beaumont?
- 1641 Anthoni, Baron van Haersolte?
第七大隊 (CV599a)
- 1599 ジャン=フランソワ・ド・ラ=サル?
- 1614 Ferdinand von Sedlnitzky?
- 1617 Barthold van Starckenborgh?(兼任)
- 1640 オランイェ公ウィレム二世(兼任)
- 1647 フィリップ=アンリ・ド・フルーリー・ド・クーラン?
第八大隊 (CV599b)
- 1599 Jacob van Randwijck, Heer van Gameren?
- 1642 ナッサウ=ジーゲン伯ゲオルク=フリッツ†
第九大隊(フランス連隊) (CV607a)
- 1607 Pierre du Four, Seigneur de le Metz?
- 1641 タルモン公アンリ=シャルル・ド・ラ=トレモワイユ
第十大隊 (CV621a)
- 1621 リンブルク=シュティルム伯ヘルマン一世オットー(兼任)†
- 1644 ヤーコプ・ファン・ワセナール=オプダム†
第十一大隊(フランス連隊) (CV625a)
- 1625 ド・ラ=フォルス公フィリップ=ノンパール・ド・コーモン?
- 1645 Joachim de Saint-Georges, Seigneur de Verneuil?
第十二大隊(フランス連隊) (CV625b)
- 1625 ブイヨン公フレデリク=モーリス
- 1641 マショー子爵フランソワ・ド・ラ=プラス
オランダ騎兵連隊
大隊をまとめたものを第一連隊として、それ以外の新設2連隊。とはいえいずれも歩兵連隊長と兼任。ヨハン=マウリッツは1668年に元帥に昇格するのでその後一代で廃止。
ファン・デン=ベルフ連隊 (CR645a)
1645 ファン・デン=ベルフ伯ヘルマン=フレデリク
ファン・ナッサウ=ジーゲン連隊 (CR645b)
1645 ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン=マウリッツ
護衛隊(歩兵中隊)
オランイェ公3代(フィリップス=ウィレム除く)に世襲されてきたガード。平時は公の私的な近衛を務め、戦時は護衛隊として司令官と行動を共にしました。使用人に近いためか身分の低い貴族出身と思われ、人物情報が少ないです。オランイェ公の私的ガードにフリースラント州(1631)・フロニンゲン州(1640)の護衛隊を統合し、1643年と遅い段階で新たに議会によって公式に「連隊」として設立されています。
護衛歩兵中隊 (IC573a)
- 1588 Louis de Landas?†
- 1589 Karel van der Noot?†
- 1598 ニコラース・ファン・ランデローデ・ファン・デル=アー
- 1604 Godefroy van der Scheyt (Wischpenninck)?
- 1610 Barthold van Stakenborgh?(兼任)
- 1617 Gotthart van Nijthof?†
- 1624 (ポルトガル公ウィレム=クリストッフェル=ローデウェイク:代行あり)
- 1624 (代行:フィリップ・ファン・ティーネン)
- 1625 ディーデン卿オットー・ファン・ヘント
- 1626 Otto Willem van Pudewels?
護衛歩兵連隊
- 1633 George Gleser?
オランダ砲兵
砲兵に関しては系統だった隊があったわけではなく、都度必要に応じて責任者が任命されました。そのため「隊長」という訳の当て方も好ましくなく、称号はそのまま原語スペルで表記します。「geschut」と「artillerie」はいずれも「砲兵」ですが、「geschut」には兵站部隊(弾薬や砲架などの物資を扱う)も含まれ、若干意味内容が大きそうです。責任者は「Generaal」の称号は持つものの、単独ではなく必ず歩兵のポストと兼任となりました。連隊長とは限らず、砲を扱う関係から海軍もいます。16世紀のうちこそ砲撃は特殊技能のうちに入ったため、特に詳しい者が選ばれたと考えられます。しかし17世紀になると将校は砲を自在に扱えて当たり前となるため、基本的に歩兵連隊長が兼任し、フレデリク=ヘンドリク時代からは「Meester-Generaal」なんて大層な称号に格上げとなります。
Generaals van het geschut
- 1594 ピーテル・ファン・デル=ドゥース(ホラント州副提督兼任)
- 1602 Karel Oem van Wijngaarden?(歩兵中隊長兼任)
- 1603 ホールネ伯ウィレム=アドリアーン
Meester-Generaals der artillerie
- 1625 ホールネ伯アドルフ=フィリップス?
- 1636 ブレーデローデ卿ヨハン=ヴォルフェルト
- 1642 ゾルムス=ブラウンフェルス伯ヨハン二世アルプレヒト
- 1648 ナッサウ=ディーツ伯ウィレム=フレデリク
騎兵の戦いを描いた絵画(油彩)は、本当に文字通り山ほどあります。選ぶのにいい意味で苦労します。ただし17世紀後半のほうが多数派です。前半も、バフ・コートが流行ってきた1630年あたりからが数があり、その前はやや少なめ。それでも歩兵の戦いを描いた絵がほとんど無いのに比べれば充分といえます。砲兵はさすが機械というところか、絵画よりは断然教練や図面ばかりです。
リファレンス
- van Nimwegen, The Dutch Army and the Military Revolutions, 1588-1688, 2010
- SSNE database the University of St Andrews
- Soldaten-genealogie
- Dutch regiments Het Staatse Leger 1572-1795