旧オランダ式築城術

Fotothek df tg 0001753 Architektur ^ Festungsbau

シモン・ステフィン 「要塞建築」(1623年独語版/初版は1594年) In Wikimedia Commons

稜堡式城塞

「稜堡式」というのは、上空から見たときに星型に代表される幾何学型を持つ人工的な都市防衛システムです。日本でも函館の五稜郭が有名です。

攻城用火器の登場は、ヨーロッパの城塞にも大きな変化をもたらしました。

最初に近代要塞への転換が図られたのはイタリアです。フランスの攻城砲に対し、中世以来の高い城壁は何の役にも立たなかったどころか、むしろ格好の的になってしまいました。そのため、城壁を取り払い、大砲の攻撃からの死角を無くしつつ防御にも効率の良い、星型(多角形型)の要塞が登場することになります。「稜堡式要塞」と呼ばれるこの城郭の築城方法のうち、初期にイタリアで始まったものを「イタリア式築城術」といいます。その後ヨーロッパ各国に広まるにつれその土地の地形に合わせて特化していき、17世紀後半、フランスのヴォーバン元帥による「フランス式築城術」でいったんの完成を見ます。

これらの要塞は、基本的には国境地域や河川沿いの街などの紛争地帯、または攻囲戦に伴って建設される砦に用いられました。そのため、外敵の脅威の少ない場所(フランスの場合はパリ周辺等の内陸部、オランダの場合はハーグやデルフトなど)では採用されていないことも多いです。

StarFortDeadZones Festung

円形の塔から稜堡への転換図(左)/ラヴェラン(右) In Wikimedia Commons

初期のイタリア式の考え方は、城塞の四隅の塔の部分を、円形から菱形へ変換させて死角をなくすことです。この菱形の部分を「稜堡 bastion」と呼びます。また、稜堡と稜堡の間の中堤の防御のため、「ラヴェラン(半円堡) ravelin」と呼ばれる台場が置かれました。

旧オランダ式築城術

Doorsnede vestingwerken Grol (Groenlo) in 1627 - Intersection of the defensive works of Grol in 1627 (Commelin, 1651)

Commelin (1651) 堡塁の断面模式図 In Wikimedia Commons

オランダ式築城術は、16世紀後半の「反乱」時代から八十年戦争期にかけての「旧オランダ式築城術」と、17世紀後半、クーホルン男爵(フランスのヴォーバン元帥と同時代人)による発展型、「新オランダ式築城術」の2つに分かれます。ここでは旧オランダ式を取り上げます。

旧オランダ式は、アルクマールの建築技師アドリアーン・アントニスゾーンや数学者シモン・ステフィンによって発展・完成されました。軍制改革後のイメージが強いですが、「反乱」期、ウィレム沈黙公の時代から採用されています。

Heusden bastion

現存する堡塁跡(フースデン) In Wikimedia Commons 上掲の断面模式図との対比がよくわかる写真です。

オランダは文字どおり「低地地方」です。イタリア・フランス・ドイツのように、岩山など垂直方向への天然の要害には恵まれていません。逆に、国土を縦横に走る河川や運河が、水平方向の要害として利用できました。オランダの要塞は縦への高さというよりは、横への面積の広さにその特徴があります。

菱形の稜堡だけでなく、様々なかたちの堡塁が発達しました。

Hoornwerk svg Zwaluwstaart

堡塁の模式図 In Wikimedia Commons

  • 稜堡 bastion …堡塁隅の菱形に出っ張った部分。画像5
  • 角堡(かくほう) horn …読みは「かく」ですが意味は「つの」。出っ張りが2つのもの。画像3
  • 凹角堡(おうかくほう)tenaille …トゥナイユ。角堡と似てます。2つの鋭角をもつ台場。画像A。前面ではなく、ラヴェランや半月堡の後背に置かれるものを凹堡と呼びます(英語ではおなじトゥナイユ)。
  • 王冠堡(おうかんほう) crown …角堡の中央にさらに1つ出っ張りをもたせたもの。
  • 「教皇の帽子」 bonnet …王冠堡と似てます。3つの鋭角をもつ台場。double-tenailleとも。
  • ラヴェラン ravelin …あまり日本語にしないみたいです。半円堡。半円というより上弦/下弦の月型の凸四角形の台場。画像B
  • 半月堡(はんげつほう) half moon/demilune …半月、というより三日月型の凹四角形の台場。ラヴェランの一辺が凹んでるタイプ。画像2
  • 水路・水濠 ditch …他の地域でも水路は用いますが、オランダの場合は二重三重にして水平方向の防御とします。画像4
  • 凸角堡(とつかくほう) redan …レダン。1つの鋭角をもつ稜堡。包囲線上で方型堡との組み合わせで使われます。
  • 方形堡(ほうけいほう) redoubt …稜堡をもたない完全に真四角のもの。要塞周囲の小砦などに使われます。
  • 中堤(ちゅうてい) curtain wall …稜堡と稜堡を結ぶ直線部で、もとは高い城壁のあった部分。
  • 堡障(ほうしょう) counter garde …半月堡とも似てます。ラヴェランや半月堡の前にさらに防御のためにおくもの。
  • 斜堤(しゃてい) glacis …最外郭のなだらかな斜面。
  • シターデル citadel …この場合は要塞内要塞のこと。街の中に城がある場合など。

このような新型要塞は、その建設費用も非常に高額です。街が破産したり、工事が中途になってしまったなんて話はよくあります。オランダの場合は、さらにその維持費用も嵩みました。他の地域では、それぞれの堡塁がレンガや石壁で補強されるようになっていきますが、石材の不足するオランダでは土塁に頼らざるを得ません。加えて、嵐や洪水などによる土砂の流出に悩まされる地形条件でもあり、日常的にメンテナンスが必要になります。

Aert van der Neer - IJsvermaak buiten de stadswal (ca. 1655)

Aert van der Neer (1655) 街の城壁外での氷上の情景 In Wikimedia Commons 中央やや左奥に2つの稜堡が見えます。この絵のようにホッケーして遊んでるうちはいいのですが…。

また、要塞の周囲に張り巡らされた水路は、冬期には凍結のため全く用を成さなくなってしまいます。そのため、冬になったら水を抜くことができるような細工まで施す必要がありました。「洪水線(堤防決壊戦術)」との連携も特徴です。ダムによって水を堰き止めたり、逆に一気に放水することによって敵の侵入を阻むなど、水を用いた戦術も立案されました。

アトラス・ファン・ローンに見るオランダ型要塞都市の事例

このサイト内でもお世話になっている「アトラス・ファン・ローン」とは、17世紀後半の地図好きの実業家フレデリク=ウィレム・ファン・ローンが、その頃までに出版されていた何人かの地図製作者による地図帳を収集し編纂したものです。1640-1670年代の地図が18巻にわたってまとめられており、そのうち15巻はヨアン・ブラウによる「諸都市の景観」で、丸々1冊オランダの要塞建築に充ててあります。ここに挙げたものはその一部です。作者不詳となっているのも、ブラウの地図に準拠しています。

Fort Nassau of De Voorn (Heerewaarden)

Unknown (1649) “Atlas van Loon” Fort Nassau In Wikimedia Commons

ワール川とマース川のジャンクション地点、フォールネに建設されたナッサウ砦。防御の要地に建てられた砦ですが、ラヴェランは一ヶ所だけ、あとはすべて稜堡のみの比較的シンプルな六芒星型です。

Fort Liefkenshoek - Liefkens Hoeck (Atlas van Loon)

Unknown (1649) “Atlas van Loon” Fort Liefkenshoek In Wikimedia Commons

アントウェルペン近郊のスヘルデ川沿いのリーフケンスフック砦。稜堡をもった方形堡の両脇にラヴェランがあります。

Fort Lillo (Atlas van Loon)

Unknown (1649) “Atlas van Loon” Fort Lillo In Wikimedia Commons

こちらもアントウェルペン近郊のスヘルデ川沿いリロ砦。リーフケンスフックの真向かいにあります。小さいながらに、凸角堡(レダン)や堡障でガチガチに固められたすぐれもの。

Grolla - Map of Groenlo, after 1628 (J.Blaeu, 1649)

J. Blaeu (1649) “Atlas van Loon” Groenlo In Wikimedia Commons

フロール攻囲戦(1627)の後にオランイェ公フレデリク=ヘンドリクによって強化されたフロールの街。六芒星型の街に、ラヴェランとハーフムーンを交互に配したほぼ左右対称の美しい形になっています。

Coeverden - Map of Coevorden (Atlas van Loon)

J. Blaeu (1649) “Atlas van Loon” Coeverden In Wikimedia Commons

こちらはクーフォルデン攻囲戦(1592)後に、ナッサウ伯時代のマウリッツによって五芒星型から完全な正七芒星型にレベルアップされたクーフォルデン。この図の右下がシターデル(要塞内要塞)のクーフォルデン城です。

Steenbergen (Atlas van Loon)

Unknown (1649) “Atlas van Loon” Steenbergen Fort Henricus In Wikimedia Commons

ステーンベルヘンとその近郊のヘンドリク砦。こちらもフレデリク=ヘンドリクによる、西ブラバント洪水線(ステーンベルヘン⇔ベルヘン=オプ=ゾーム間の短い洪水線)の一貫として整備されたセットです。街の側には王冠堡と角堡が、ヘンドリク砦にも角堡があります。

Rhees - Rees (Atlas van Loon)

Unknown (1649) “Atlas van Loon” Rees In Wikimedia Commons

ライン川沿いの街レース。ユーリヒ=クレーフェ継承戦争ののち、ブランデンブルク選帝侯に代わって一時期(1616-1625)オランダ兵が駐屯していた街です。その10年ほどの間にこんなにあちこち補強されました。稜堡、ラヴェラン、半月堡、凹角堡、角堡、方形堡、堡障…と、ほぼあらゆると言っても良いほど様々な堡塁が用いられています。

Breda (Atlas van Loon)

J. Blaeu (1646) “Atlas van Loon” Breda In Wikimedia Commons

フランソワ・ファン・アールセンが「マウリッツ公の最高傑作」と称したブレダ。これは1637年に奪還した後にさらにフレデリク=ヘンドリクの手の入ったもの。マスターピース、というより、この兄弟単に土木マニアなだけじゃ…? オランイェ公にとっては「自宅」にもあたる街ですから、力の入るのもわかりますが。

Harlemum - Haerlem - Haarlem (1646, Atlas van Loon)

Unknown (1646) “Atlas van Loon” Haarlem In Wikimedia Commons

1573年に激しい攻囲戦のあったハールレム。ですが、その70年後にもとくに要塞化されていません。ホラント州やゼーラント州の小都市で、陸からの脅威の少ない(と思われる)街は、このようにせいぜい堀で囲まれた程度の全くのフラットだったりします。連邦議会のあるハーグも同様です。

おまけ

Colline-Saint-Eutrope 17e

G. Trouillet (17th century) オランジュの古城 In Wikimedia Commons

ナッサウ伯マウリッツが1618年にオランイェ公を継いで後、1620年に南仏の領地オランジュのサン=トゥトロップの丘に建設させた11の稜堡をもつ巨大城塞。本人は現地に赴いていませんが、おそらく手がけた中では唯一の、垂直方向に縦深のある要塞です。なので、「オランダ式」と言えるかどうかというとちょっと微妙。

なお、「古城 le château vieux」と呼ばれていてとくに固有名詞は無いようです。街自体も要塞化されています。オランダ侵略戦争でルイ十四世に破壊されるまで、ヨーロッパの要塞の中でも最も強固なもののひとつに数えられ、有事には1万人を収容できる設計だったそうです。現在は世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺」の一部。

リファレンス

  • 『戦略戦術兵器事典<5>ヨーロッパ城郭編』学習研究社、1997年