ナッサウ=ジーゲン伯ヤン七世の監修のもと、画家ヤーコプ・デ・ヘインが版画を制作し、1607年に刊行された “Wapenhandelinghe” 『武器教練』。ここでは「ナッサウ伯の軍制改革」の集大成ともいうべき、歩兵の軍事訓練マニュアルをご紹介します。この時代の軍制改革に興味があるなら、必携の書。というか絵本。
中身は当時の司令官たちがこぞって入手し、実際に兵たちにこれを用いて訓練したそのものの内容です。火縄銃・マスケット銃・パイク(長槍)の3種類の武器の使い方が、順を追って載っています。
もともとこの記事は書評記事でしたが、近年はウィキメディアで全頁まとめて見れるようになったため、書評は下のほうでサブで扱います。
Wapenhandelinghe van Roers, Musquetten ende Spiessen (1607) Wikimedia Commons
ヤーコプ・デ・ヘインの『武器教練』
冒頭の表紙(連邦共和国の紋章とマウリッツの個人紋章入り)がいちばん有名なものですが、こちらは同じオランダ語版でもやや装丁が違います。出版年が1年早いので、こちらがオリジナルかもしれません。彩色版は手彩色とのことなので相当な高級品ですね。
以下は、限定記事「ナッサウ伯領の軍制改革」からの一部転記です。
ヤーコプ・デ・ヘインの『武器教練』(1607)は、正式な名称は『オランイェ公にしてナッサウ伯、ヘルデルラント・ホラント・ゼーラント・ユトレヒト・オーフェルエイセル等の州総督にして陸海軍総司令官マウリッツ閣下の命による火縄銃・マスケット銃・長槍の武器教練』といい、ナッサウ伯マウリッツに対し献呈されたものです。表紙にはマウリッツの個人紋章だけではなくオランダ共和国七州(表題にはないフリースラント・フロニンゲンも含む)の紋章も描かれていて、オランダ由来とのイメージが強いです。
この操典のもとは、1599年頃ヤン七世が手ずから描いたスケッチです。それを、ヤン七世が知り合いの版画家であるデ・ヘインをマウリッツに紹介して、出版用に編纂しました。スケッチの描かれた1599年頃には、オランダでも既にこのような教練が導入されてから10年近く経っていますから、自分たちで使用するためというにはあまりに時期が遅く、最初から拡散目的での出版と思われます。オランダやマウリッツの名前を前面に押し出したのは、「ニーウポールトの戦い(1600)」をはじめとして、その効果が派手に出ていたというネームバリュー(ある種のブランドマーケティング)によるものでしょう。
『武器教練』の各国版
このデ・ヘインの教練書の出版ののち、その各国語訳も含め、次々と類似の教練書が出回るようになりました。
当時オリジナルが刊行されるとすぐに、表紙と命令文言が各国語版に訳されて普及しました。ここでは英語版とフランス語版を挙げています。オランダ七州を表していた中央の紋章が、英国王の紋章と仏国王の紋章に変わっています。表紙のフォントが違っているほか、色味も国に合わせてあり、天使の描き方もそれぞれ微妙に違うような。
「マニュアル」なので、出版の第一の目的はもちろん武器の使い方です。加えて後世の我々からすると、当時の服装や武器などの装備を参照するにも非常に有用な史料といえます。この117枚の版画は、それぞれ別人をモデルに描いています。少なくとも同じ人物の連続ポーズではなく、新兵から古参兵まで、着ているものや持ち物もそれぞれ少しずつ違うので、そのバリエーションを楽しむことができます。実物の兵士たちが本当にこれだけカラフルなものを着ていたかはわかりませんが、やはり彩色版のほうが見ていて楽しいですね。
紙の本:『武器教練』英語版
以下は書籍として入手できるいずれもリプリント版。リプリント版発行に当たっての解説が最初にちょっと載っているだけで、マニュアル本体はモノクロの絵(銅版画)と、その下の短い命令文言のみです。いずれも英語版(洋書)なので、命令の文言も英語で書かれています。
ちなみに四半世紀前はオランダ語の古本などは恐ろしく高価だったのですが、今やGoogle Booksで無料で手に入る時代になりました。リンクからダウンロードも可能です。
Google Books: Wapenhandelinghe van Roers, Musquetten ende Spiessen (etc.)
もちろん、冒頭のウィキメディアのリンクからも閲覧することができます。紙の本は絶版のため、定価(日本円換算で1000円台と安価でした)の3-4倍はするようになってしまいました。解説目当てでなければウェブや電子版で充分です。
The Exercise of Armes: All 117 Engravings from the Classic 17th-Century Military Manual
- 著者: Jacob De Gheyn
- 出版社: Dover Pubns, New edition版 (1999/6/30)
- サイズ: ペーパーバック
- ページ数: 128p
- 言語: 英語
- 発行年月: 1999/6/30
読書メモ
『武器教練』のアメリカ出版社版で、A4よりちょっと大きめのペーパーバックです。英語が読めなくても全く問題ありませんが、読める人はぜひ4ページほどのイントロダクション部分も読んでみてください。地味に有用な情報がいっぱいです。表紙図版は無し。
The Renaissance Drill Book
- 著者: Jacob De Gheyn (著), David J. Blackmore (編集)
- 出版社: Greenhill Books, New版 (2003/07)
- サイズ: ハードカバー
- ページ数: 248p
- 言語: 英語
- 発行年月: 2006/03
読書メモ
大きさ約半分のハードカバー、イギリス出版社版。逆に倍の厚みなのは、1ページごと1ポーズではなく、紙1枚につき1ポーズだから。つまりこちらはパラパラマンガ対応版といえます。(ハードカバーなのでパラパラしにいくですが…)。イントロダクションもかなり短く、絵本度はこちらのほうがやや上。出版社がイギリスなので、解説ではイングランド内戦への影響について言及されています。残念ながらこちらにも表紙の図版はありません。
この版のレビューに、「原書は複数言語で書かれているのにこれは英語のみ」なんて書いてありました。ここに挙げた単独言語翻訳版表紙のほか、マルチ言語版(独・仏併記1609年版、蘭・仏・英併記1619年版)なんてのを確認していますので、ここでいう「原書」はマルチ言語版のことかと思われます。
紙の本:その他の教練書
オンデマンドプリントなので紙の本を購入するには若干高額ですが、同時代の他の2つの教練書も出版されています。
Horsemen in the 16th & 17th C.: By Jacob de Gheyn & A.de Bruyn
- 著者: Jacob De Gheyn (著), Luca Stefano Cristini (編集)
- 出版社: Soldiershop
- サイズ: ペーパーバック
- ページ数: 122p
- 言語: 英語
- 発行年月: 2017/2/3
読書メモ
デ・ヘインは騎兵の教練書も描いていました。名前もそのまま「騎兵教練 De ruiterschool」です。枚数は歩兵教練に比べれば少ないですが、斥候からピストル騎兵、槍騎兵など、様々なバージョンの騎兵が描かれており、バリエーションが楽しめるのはやはりデ・ヘインならではのところ。同時収録は、デ・ブラインの「16世紀の騎兵」。1577年版なので、デ・ヘインより半世紀近く前ではありますが、こちらはヨーロッパだけではなく中東の騎兵や、女性なども描かれています。
イタリアのオンデマンド出版社「Soldiershop」からの出版。明らかにカラーコピー感満載ですが、紙も印刷も質は良いです。
De ruiterschool Wikimedia Commons
Dutch & Imperial Soldiers: By Adam Van Breen & Hendrick Goltzius
- 著者: Adam Van Breen (著), Luca Stefano Cristini (編集)
- 出版社: Soldiershop
- サイズ: ペーパーバック
- ページ数: 98p
- 言語: 英語
- 発行年月: 2016/11/21
読書メモ
「剣・長槍・盾の教練 The exercise with sword, pike and shield」、武器教練の剣・長槍・盾版です。ちょうどデ・へインの武器教練では扱っていない剣や盾のバージョンとなっています。英語では「剣・長槍・盾」ですが、画像のオランダ語版表紙には「細剣(レイピア)」も書かれています。個人的には、17世紀にもなって教練書になるほど盾に需要があったのがびっくり。これもウィキメディアのリンクから全文の内容が見れます。同時収録は、ヘンドリク・ホルツィウスの「ルドルフ二世の軍隊」。
Nassausche wapen-handelinge, van schilt, spies, rappier, ende targe Wikimedia Commons