ゾルムス諸伯 Grafen zu Solms

Solmns - Solms - Wapenboek Nassau-Vianden - KB 1900 A 016, folium 29r

Wapenboek Nassau-Vianden (circa 1485-1495) In Wikimedia Commons

ゾルムス伯領はヘッセンの一部。分家が多く、非常に複雑な家系のひとつです。八十年戦争に関わってくるゾルムス伯も何名か居ますが、資料によって、ミドルネームしか書いていない・分家名が書いていない、など書き方が違っていて最終的に特定するのに苦労しました。この時代になると、「ゾルムス」の名が入っている者同士だからといって、特段近い親戚筋というわけでもなくなってきているようです(もちろん遠縁ではありますが、他の家系との関係とも大差ないという意味です)。ちなみに、一般的にドイツ貴族のタイトルの後ろには von をつけますが、彼らの大部分は zu。「von」>「zu」として、zu はどちらかというと、分家などに使われたようです。

ところで、1600年のニーウポールトの戦いでは、「3人のゾルムス伯」が参戦した、とされるのですが、そのうち2人までは特定できたものの、あと1人が未だ不明です。

ゾルムス=リッヒ伯ゲオルク=エバーハルト Georg Eberhard zu Solms-Lich

Emanuel van Meteren Historie ppn 051504510 MG 8774 georgius eberard

Simeon Ruytinck (1614) In Wikimedia Commons

  • ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ伯 Solms-Hohensolms または ゾルムス=ミュンツェンベルク伯 Solms-Münzenberg、ベイエルラント卿 Heer van Bijerland
  • 生年: 1563/7/30 ホーエンゾルムス(独)
  • 没年/埋葬地: 1602/2/23 ヒルシュベルク(独)/リッヒ(独)

生涯

次男として生まれ、母はコンラッド・ゾルムス=ブラウンフェルス伯の妹。つまり下記のヨハン=アルプレヒトやエルンストは母方の従兄弟にあたります。20歳ころ、1583年には既にオランダに渡って軍務についていたようで、オランイェ公ウィレム一世時代を知る古参の将校となります。ウィレムの死後は、レスター伯のもとイングランド軍に加わって、1587年のデフェンテルやズトフェンの戦いに参加しました。1590年のブレダ以降はナッサウ伯マウリッツの軍隊で中心的な役割を果たし、1591年にフルスト知事、1596年には連隊長の地位を与えられています。1600年ニーウポールトの戦いでは、三軍に分けたオランダ軍の中央軍を率いて戦いました。その経験を買われ、連邦議会の費用で、援軍の傭兵としてたびたびドイツに出稼ぎしていたようです。詳細はわかりませんが、1602年、ケルン選帝侯の特使として皇帝ルドルフ二世に会うためプラハに向かっていたところ、ハイデルベルク近郊で急死しました。

1595年には、エグモント伯ラモラールの娘である1歳年上のサビーナと、デルフトで結婚しています。妻の領地であるベイエルラント卿を名乗りました。家柄の違いを考えると、けっこうな逆玉。ゲオルク=エバーハルトが戦死したとき、周囲が「死んでしまうのでは」と心配するほど、サビーナは悲しみで憔悴しきってしまったそうです。現在は決して有名とはいいがたい人物ですが、マウリッツの信頼も厚く、当時はかなり尊敬された将軍のひとりだったようです。声が大きく、お喋りなのが玉にキズ。

リファレンス

  • Motley, “United Netherlands”
  • NDB

ゾルムス=ブラウンフェルス伯ヨハン=アルプレヒト一世 Johann Albrecht I zu Solms-Braunfels

Solms-Braunfels

In Wikimedia Commons

  • ゾルムス=ブラウンフェルス伯 Solms-Braunfels
  • 生年: 1563/3/5 ブラウンフェルス(独)
  • 没年/埋葬地: 1623/5/14 ハーグ(蘭)/ハーグ

生涯

コンラッド・ゾルムス=ブラウンフェルス伯とエリーザベト・フォン・ナッサウ(ウィレム沈黙公の妹)の長男。マウリッツやフレデリク=ヘンドリクの従兄にあたります。またアマーリア・フォン・ゾルムスの父で、フレデリク=ヘンドリクにとっては同時に舅でもあります。

前半生はよくわかっていませんが、三十年戦争期にはプファルツ選帝侯の侍従長として登場します。彼のすぐ上の男子が7歳で夭逝していること、家督自体は四弟のヴィルヘルムが継いでいることから、はじめは跡継ぎとされず、幼少のうちからプファルツに預けられていた可能性も高いです。1619年に、互いに50代でヤン六世の娘(ウィレム=ローデウェイクやエルンスト=カシミールの姉妹)ユリアナと再婚しています。1620年の白山の戦いで主のフリードリヒ五世が敗れてのち、彼とともに各地を転々とし、最終的にハーグまでたどり着きました。が、その後2年ほどで死亡。娘アマーリアと従弟フレデリク=ヘンドリクの結婚を見ることはありませんでした。

リファレンス

ゾルムス=ブラウンフェルス伯エルンスト Ernst zu Solms-Braunfels

Solms-Braunfels

In Wikimedia Commons

  • ゾルムス=ブラウンフェルス伯 Solms-Braunfels
  • 生年: 1568/11/18 ブラウンフェルス(独)
  • 没年/埋葬地: 1595/9/4 ラインベルク(蘭)/アルンヘム・聖エウセビウス教会

生涯

コンラッド・ゾルムス=ブラウンフェルス伯とエリーザベト・フォン・ナッサウの三男(成人した男子のみ数えた場合)。ヨハン=アルプレヒト一世の全弟。マウリッツやフレデリク=ヘンドリクの従兄弟にあたります。貧乏貴族の次男以下の宿命として、幼少の頃からどこかへ預けられ、軍人としての教育を受けたものと思われます。いつごろオランダへやってきたかはわかりませんが、親戚筋のゾルムス伯ゲオルグ=エバーハルト(祖父が同じ)の誘いで訪れた可能性は高いです。従兄弟のマウリッツやフィリップスとは同世代のため、仲の良い飲み仲間だったようです。

1595年のフロール攻囲戦の際、従兄弟のナッサウ伯フィリップス、エルンスト=カシミール、ローデウェイク=ヒュンテル兄弟などを含む、少数の騎兵で奇襲をしかけようとして失敗。リッペ川付近の乱戦で重傷を負ってしまいます。そのままエルンスト=カシミール、同じく重傷のフィリップスと3人で捕虜となりラインベルク城に運ばれましたが、フィリップスに次いで数日後、怪我がもとで死亡しました。2人の遺体は丁重に返却され、一緒にアルンヘムの聖エウセビウス教会に葬られています。死亡の日を8/24としているものが多いのですが、ここでは聖エウセビウス教会のプレートに書かれている日付に合わせました。ユリウス暦とグレゴリウス暦の違いと思われます。

リファレンス

  • Motley, “United Netherlands”
  • Kikkert, “Maurits”

ゾルムス=レーデルハイム伯フリードリヒ Friedrich zu Solms-Rödelheim

F Brentel - Graf Friedrich von Solms-Rödelheim Gouache 1629 (RdSW.C63)

Friedrich Brentel (1629) In Wikimedia Commons

  • ゾルムス=レーデルハイム伯 Solms-Rödelheim
  • 生年: 1574/11/30 レーデルハイム(独)
  • 没年: 1635/9/15 ストラスブール(仏)

生涯

ヨハン=アルプレヒト一世の妻の従兄弟という遠縁のゾルムス伯。1600年前後にオランダにやってきて、ニーウポールトの戦いに将校として参加した記録が残っています。1608年以降は、ハンザ諸都市に傭兵として雇われました。オランダ式築城術の専門家を連れていたため重宝されたようです。1610年にはユーリヒ=クレーフェ継承戦争に、1615年にはブラウンシュヴァイク家とブラウンシュヴァイク市の抗争に介入しています。

リファレンス

ゾルムス=ブラウンフェルス伯ヨハン=アルプレヒト二世 Johann Albrecht II zu Solms-Braunfels

Johann Albrecht II, count of Solms-Braunfels, painted by Johann Valentin Tischbein, ca 1750

Johann Valentin Tischbein (ca 1750) In Wikimedia Commons

  • ゾルムス=ブラウンフェルス伯 Solms-Braunfels、ユトレヒト知事 Gouverneur van Utrecht、マーストリヒト知事 Gouverneur van Maastricht
  • 生年: 1599/6/2 ブラウンフェルス?(独)
  • 没年: 1648/10/6 マーストリヒト(蘭)

生涯

ヨハン=アルプレヒト一世の長男にして、アマーリアの兄。おそらく一家揃ってプファルツ選帝侯フリードリヒ五世の随員としてハーグに亡命。その後、妹のアマーリアがオランイェ公妃になったことも手伝い、軍人として重要な地位を占めることになります。オランダ軍で連隊長を務め、オランイェ公フレデリク=ヘンドリクの主な攻囲戦には必ず登場します。また、ユトレヒト知事、晩年はマーストリヒト知事を歴任しています。

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