三十年戦争期の神聖ローマ皇帝軍元帥たち(1)

オランダの八十年戦争(1568-1648)とドイツの三十年戦争(1618-1648)は完全に時期がかぶっているので、三十年戦争で有名な軍人たちも、オランダとニアミスしていることが多いです。下記神聖ローマ皇帝軍元帥リストのうち、三十年戦争期に任命された元帥35名の中から、オランダと関係した元帥またはフランドル軍での経験のある元帥を中心に比較的有名な人物を8名ピックアップし、それぞれ4名ずつで2記事、さらに(3)としてややマイナーな人物を8名挙げています。元帥になった年号順に並べています。

ほかの記事はこちら。

当たり前といえば当たり前ですが、各元帥たちが、そのキャリア形勢期に別な元帥のもとで従軍していたとか、ある元帥が亡くなってポストが空いたので昇進したとか、それぞれにリンクしています。

リファレンス

  • ウェッジウッド, C.V. (瀬原義生 訳)『ドイツ三十年戦争』刀水書房、2003年
  • Wilson, “Thirty Years War”

英・独版ウィキペディアの皇帝軍元帥一覧。各項目へのリンクはさすがにご当地の独語版のほうが多いです。

ブッコワ伯シャルル=ボナバンチュール・ド・ロンギュヴァル Charles-Bonaventure de Longueval, comte de Bucquoy

Bucquoy by Rubens 1621 (detail)

Peter Paul Rubens (1621) In Wikimedia Commons

  • ブッコワ伯 comte de Bucquoy、皇帝軍元帥 Kaiserliche Feldmarschälle(1618)
  • 生年: 1571/1/9 アラス(白)
  • 没年: 1621/7/10 ノヴェー・ザームキ(スロバキア)

生涯

十代の頃からハプスブルク軍で戦っており、ニーウポールトの戦いやオーステンデ攻囲戦にも参戦しています。とくにスピノラ将軍が現れてからは、砲兵隊長として、「スピノラの1605-1606年遠征」の重要なパートナーであり続けました。金羊毛騎士。カラトラバ騎士団総長も打診されましたが、金羊毛騎士との兼任ができないため、息子シャルル=アルベールに譲りました。

十二年休戦条約で対オランダ戦がひと段落ついたこともあり、皇帝マティアスによって皇帝軍に招聘され、元帥としてボヘミアの反乱、白山の戦いなど、三十年戦争初期の戦いでも活躍しました。スロバキアで戦死。

ティリー伯ヨハン・セルクラエス Johann t’Serclaes, Graf von Tilly

Johann Tserclaes count of Tilly

Unknown (17th century) In Wikimedia Commons

  • ティリー伯 Graf von Tilly、「甲冑を着た修道僧」”der geharnischte Monch” 、皇帝軍元帥 Kaiserliche Feldmarschälle(1618)
  • 生年: 1559/2 ヴィレ=ラ=ヴィル(白)
  • 没年/埋葬地: 1632/4/30 インゴルシュタット(独)/聖フィリップ=ヤコプ参事会教会・アルトエッティング(独)

生涯

カトリック連盟(リーガ)次いで皇帝軍元帥であり、バイエルン公マクシミリアン一世の懐刀。「グスタフ二世アドルフに敗死した」ことが強調されているきらいがありますが、当時最も恐れられていた将軍といって間違いないでしょう。ハイデルベルクの制圧やマグデブルクの掠奪の苛烈さでも知られます。もともと貴族の生まれであることもあり、功名心よりも純粋な信仰心に基づく行動なので余計にその容赦の無さが目立つのかもしれません。

ところで、彼のこのストイックなまでに激しい性格は、実は若年期にその軍に所属していたアルバ公の影響が大きいようです。軍装ではない平服のときは、アルバ公が好んで着ていたのと同じような服装――スリットからのぞく裏打ちが真っ赤な緑の絹のダブレットに、大きな羽根飾りをつけた山高帽――をしていたそうです。

パッペンハイム伯ゴトフリート=ハインリヒ Gottfried Heinrich Graf zu Pappenheim

Wenceslas Hollar - Count Pappenheim (State 2)

Wenzel Hollar (17th century) In Wikimedia Commons

  • パッペンハイム伯 Graf zu Pappenheim、皇帝軍元帥 Kaiserliche Feldmarschälle(1625)
  • 生年: 1594/6/8 トロイヒトリンゲン(独)
  • 没年/埋葬地: 1632/11/17 ライプツィヒ(独)/プラハ・ストラホフ修道院(チェコ)

生涯

三十年戦争の初期の元帥。白山の戦いや、マンスフェルト伯との戦いで名を挙げて、1622年に騎兵連隊長となります。その後ティリー伯とともにブラウンシュヴァイクを攻め、ヴォルフェンビュッテルを陥落させました。一時期、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フリードリヒ=ウルリヒは、母親とその弟のデンマーク王クリスチャン四世から、君主にふさわしくないとして廃されていたことがありました。そのため、パッペンハイムはヴォルフェンビュッテル公の君主権を得ようと画策していた、ということもあったようです。

マグデブルクの掠奪でも、ティリー伯に続き、徹底的な破壊行為をおこないました。これも、マグデブルクの支配権を狙っていたとする向きがあるようですが、やはり失敗しています。ヴァレンシュタインなどもそうですが、当時の傭兵隊長は、領地やタイトルを得たい、という動機がそれなりに強かったように思われます。

その後はスウェーデン国王グスタフ二世アドルフの有名な戦いのほとんどに顔を出しているので、その活躍を知っている人も多いかもしれません。グスタフの戦死したリュッツェンの戦い(1632)で、同じく致命傷を受け戦死しました。

フリートラント公アルプレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン Albrecht Wenzel Eusebius von Wallenstein (Waldstein)

Albrecht von waldstein

Anthony van Dyck (1629) In Wikimedia Commons

  • フリートラントおよびザーガン公 Herzog von Friedland und Sagan、メクレンブルク公 Herzog zu Mecklenburg、皇帝軍元帥 Kaiserliche Feldmarschälle(1625)
  • 生年: 1583/9/24 ヘルシマニツェ(ボヘミア)
  • 没年/埋葬地: 1634/2/25 ヘプ/イチーン(ボヘミア)

生涯

本名長いです。アルプレヒト=ヴェンツェル=オイゼビウス・フォン・ヴァレンシュタイン。ヴァルトシュタインとも。

ほとんど三十年戦争参加後にしか言及されませんが、実は三十年戦争の直前のグラディスカ戦争(1615-1617)の後半、第二次グラディスカ攻囲戦に援軍として登場しています。グラディスカ戦争には、ヴェネツィアの同盟国としてオランダも軍を派遣しており、ナッサウ=ジーゲン伯ハンス=エルンストとハインリヒの兄弟が参加しているので、ヴァレンシュタイン相手に戦った可能性もあります。

* 各国元首その他オランダ以外を主要な活躍の場としている人物については、サイトの主旨上、オランダと直接関わった事項または八十年戦争(三十年戦争)期間中の行動について記載しています。そのため逆に、その人物の大まかな伝記ではあまり出てこないエピソードがメインになることもあるかもしれません。