- ザクセン選帝侯 Kurfürst von Sachsen、マイセン辺境伯 Markgrafen von Meißen
- 生年: 1521/3/21 フライブルク(独)
- 没年/埋葬地: 1553/7/11 ジーフェルスハウゼン(独)/フライブルク
生涯
オランダに関していえば、モーリッツの一人娘で唯一の相続人、アンナ・フォン・ザクセンが、1561年にオランイェ公ウィレム一世の2番の妻となっています。が、モーリッツの戦死した1553年の時点では、ウィレムは最初の妻と結婚したばかりでもあり、そもそもこの二者に面識があったかどうかも不明です。
ウィレムとアンナの息子マウリッツはこのモーリッツにちなんで名づけられましたが、名前にとどまらず、マウリッツの軍事的な才能は父ウィレムよりも祖父モーリッツ譲りと思われます。外見もウィレムには全く似ておらず、明らかにザクセン系ということがわかります。
* 各国元首その他オランダ以外を主要な活躍の場としている人物については、サイトの主旨上、オランダと直接関わった事項または八十年戦争(三十年戦争)期間中の行動について記載しています。そのため逆に、その人物の大まかな伝記ではあまり出てこないエピソードがメインになることもあるかもしれません。
リファレンス
- 菊池良生『図説 神聖ローマ帝国』、河出書房新社、2009年
- 1911 Encyclopædia Britannica