ヴァルデックはヘッセンの北東部の伯領。1200年頃から帝国領邦で、ナッサウ伯領とも近接しています。兄弟は、父のヨシアス一世の死後、その領地を分割統治していました。
1615年、拡大政策を採るヘッセン=カッセル方伯モーリッツとの領土争いが持ち上がり、兄弟は調停に務めます。しかし、1621年、モーリッツが武力でヴァルデックに侵攻すると、兄弟は領地を追われそれぞれ別な考えの元に亡命しました。
リファレンス
- Wikipedia, Christian, Count of Waldeck
- Wikipedia, Wolrad IV, Count of Waldeck
ヴァルデック=ヴィルドゥンゲン伯クリスティアン Christian von Waldeck-Wildungen
- ヴァルデック=ヴィルドゥンゲン伯 Graf von Waldeck-Wildungen
- 生年: 1585/12/25 コルバッハ・アイゼンベルク城
- 没年/埋葬地: 1637/12/31 ヴァルデック/マリエンタール修道院(独)
生涯
ナッサウ=ジーゲン伯ヤン七世の長女エリーザベトと結婚しています。そのため、ヘッセン=カッセル方伯モーリッツは義理の弟にあたります。
ヘッセンのヴァルデック実効支配の後、弟ヴォルラート四世とは逆に神聖ローマ皇帝に助力を求めました。のち、皇帝フェルディナント二世の信任を得て、その侍従長にまでなっています。本人はしばらく改革派の信仰を固持していましたが、1630年頃には圧力によってカトリックへの改宗を強要されました。その反動か、この前後には領地で激しい魔女狩りをおこなっています。
ヴァルデック=アイゼンベルク伯ヴォルラート四世 Wolrad IV von Waldeck-Eisenberg
- ヴァルデック=アイゼンベルク伯 Graf von Waldeck-Eisenberg
- 生年: 1588/7/7 コルバッハ・アイゼンベルク城(独)
- 没年/埋葬地: 1640/10/6 アロルゼン/コルバッハ キリアンス教会(独)
生涯
ヘッセンのヴァルデック実効支配の後、兄クリスティアンとは逆にオランダ連邦議会とオランイェ公マウリッツに助力を求めました。もともとオランダの貴族たちやナッサウ家とは縁があったようで、たとえばクレンボルフ伯フロリス二世が断罪されかかった際にも、ナッサウ=ディーツ伯エルンスト=カシミールとともにその弁護をしています。
1639年、そのクレンボルフ伯が嗣子なく亡くなると、妻が継承権を持っていた関係で、ヴォルラート四世がクレンボルフ伯領を継ぐことになりました。のち、最終的に次男のゲオルク=フリードリヒがすべての称号を継いだ上で、さらに皇帝レオポルト一世から帝国諸侯とされてヴァルデック侯となり、ブランデンブルクやウィレム三世治下のオランダで元帥として活躍します。