※過去に書いた文章からの抜粋に加筆修正しました。注釈は略しています。
ネーデルランドには元来、全十七州の中でもオランイェ=ナッサウ家以外にはほとんど大貴族が存在しませんでした。(1620年代のホラント州で、「貴族」に相当する家系はわずか21とされています)。そして各地方ごとの政治・文化の担い手は、門閥商人を中心とした「レヘント」と呼ばれる都市の市民だったことから、当時のヨーロッパ諸外国で進んでいた中央集権化が困難な土壌でもありました。そのため共和国は他に例を見ない、むしろ当時の諸外国の絶対主義指向とは時代的に逆行した、各地方議会に重きを置いた特殊な政治体制をとることとなります。
オランダ連邦共和国では、最高機関として「連邦議会」が存在しています。が、この連邦議会の権限は、「ユトレヒト同盟」に記された外交・国防・徴税・東西インド会社の管理など、全七州をあげて取り組むべき事項に限られており、他の事項は各州の州議会ごとに扱われました。七州の各州議会は連邦議会に任意の人数で代表者を派遣しますが、この議員たちが持つのは全権ではなく「命令的委任」と呼ばれるものです。つまり彼らは州議会の意思に拘束され、その決定を連邦議会に伝えるだけの単なる連絡役にすぎませんでした。また、連邦議会での決定は、全会一致を必要としました。そのため合意に至らなかった場合は、議員たちはその度ごとに自州に戻って州議会の意見を聞かねばならず、度重なる州議会と連邦議会の往復のため、議事の決定にかなりの時間を要することもめずらしいことではありませんでした。
しかもこの各州議会も、市議会等さらに単位の小さな複数の団体から編成され、連邦議会と同様の運営方式がとられていました。つまり、州政のみならず国政に関しても、各州議会そして各市議会の意向が色濃く反映されたわけです。連邦議会内では、共和国の全予算の約6割を捻出していたホラント州の発言力が最も強く、さらにホラント州議会の中では、最も裕福なアムステルダムの発言力が最大でした。アムステルダムの市政を担ったレヘントの議員たちはその任を終身制・世襲制としたため、結果的に、連邦議会の運営に力を持っていたのはアムステルダムの一部のレヘントたちであったということができます。
さらに、この連邦・州・各都市の議会制度になくてはならないのが、法律顧問という特殊な存在です。とくに最も発言力の強いホラント州においては、自らもレヘント階級に属するヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトやヤン・デ・ウィットなど、卓越した政治家がこの地位に就くことによって、その威信はさらに高まることになりました。ホラント州の法律顧問は、ビネンホフに事務所を構えて常に連邦議会へ臨席することができ、州議会では議長や指導者的な役割も果たし、それらの決議の法的な布告をおこなうなど、共和国の議決に際して絶大な影響力を持ちました。いわば連邦議会を代表する、首相のような存在であるともいえます。
また、連邦共和国にはこの法律顧問の他に、州総督(スタットハウダー)という独特の官職も存在していました。これは元々は「国王の代行人」という意味で、君主であるスペイン国王の代わりにおもに軍事的職務を担い、州別に国王が任命するものでした。が、「反乱」の過程で各州議会が独自にオランイェ公ウィレムをこの職に任命したのちは、陸海軍の最高司令権や、投票権こそないものの、法律顧問同様に常に連邦議会に議席を設けられるなど、様々な特権が付与されていきました。オランイェ=ナッサウ家はネーデルランドでも随一の大貴族であり、1594年以降は、七州全ての州総督職がナッサウ家一門に独占され続けました。さらに、ウィレム以来、歴代州総督が軍事的指導者であったことからも、州総督は徐々に君主的栄光と結びつけて考えられるようになっていきます。
八十年戦争はもともと、スペイン本国の迫害に対する「反乱」から始まったものであり、当初より社会的変革や政治的独立などという、壮大な目的をもっていたものではありません。そして北部七州による「オランダ連邦共和国」は、次々と変化する状況に場当たり的な対症療法を積み重ねていった結果、最終的に出現したというだけの、ある意味偶然の産物です。旧来の概念とは大きく変わった「連邦議会」や「州総督」といったシステムも、同様に結果論的な産物です。連邦共和国の構造は、これら連邦議会と州総督という二つの焦点を持つ楕円の構造に例えられます。その連邦議会と州総督の権限や地位も、共和国同様に非常に曖昧なものでした。そのため共和国はその誕生から消滅まで、この二元性に関する様々な問題を抱えていくことになります。
席次図の略号一覧:
P = 議長・副議長、Stadhouder = 州総督、Griffier = 書記、H = ホラント州(6議席)、Gd = ヘルデルラント州(6議席)、Z = ゼーラント州(3議席)、F = フリースラント州(3議席)、U = ユトレヒト州(2議席)、O = オーフェルエイセル州(2議席)、Gr = フロニンゲン州(2議席)。
リファレンス
- 佐藤弘幸『図説 オランダの歴史』、河出書房新社、2012年
- 桜田三津夫『物語 オランダの歴史』、中公新書、2017年
- 森田安一編『スイス・ベネルクス史(世界各国史)』、山川出版社、1998年
- 川口博『身分制国家とネーデルランドの反乱』、彩流社、1995年
- 栗原福也「十六・十七世紀の西ヨーロッパ諸国 二 ネーデルラント連邦共和国」『岩波講座 世界歴史(旧版)<15>近代2』、岩波書店、1969年
- ウィルソン『オランダ共和国(世界大学選書)』、平凡社、1971年
- ヨハン・ホイジンガ『レンブラントの世紀―17世紀ネーデルラント文化の概観(歴史学叢書)』、創文社、1968年