八十年戦争 年表(暫定版)

1632 Bello Belgico Stradæ

Famiano Strada(1632)『De Bello Belgico』1632年刊行の歴史書の表紙 In Wikimedia Commons

※20年近く前に作成したデータを基にしています。数字や表記などちょっと怪しいので編集中です(最終更新: 2012/7)。

1562/   上級貴族による「同盟」結成
1563/ 3/ オランイェ公ウィレム一世/ホールネ伯/エフモント伯が「顧問会」脱会
1564/ 3/ グランヴェラ枢機卿罷免
1565/   エフモント伯のスペイン派遣
  11/ ブリュッセルへフェリペ二世の通達
  12/ ブリュッセルで20名の貴族による「盟約」 ナッサウ伯ルートヴィヒ/ド・ハメス/ブレーデローデ/マルニクス兄弟
1566/   「奇跡の年」
  4/5 下級貴族による「請願書」 執政パルマ公妃マルゲリータ宛
  6/ スパの協議 ル・クレルク/ナッサウ伯ルートヴィヒ/ド・ハメス/マルニクス兄弟
  7/ カルヴァン派の野外説教開始 アントウェルペン/ヘント/トゥルネー/ヴァランシェンヌ
  8/10 アントウェルペンの暴動各地に14週間に渡って飛び火
  8/15 「偶像破壊」、アルマンティエールの反乱
  8/23 パルマ公妃マルゲリータの譲歩、「盟約」の解体 中央派オランイェ公ウィレム一世/ホールネ伯/エフモント伯
1567/ 1/2 パルマ公妃マルゲリータと妥協策
  3/24 ヴァランシェンヌ陥落 ヤン・ファン・マルニクス軍壊滅、ギ・ド・ブレ極刑
  4/ ナッサウ伯フィリップス=ウィレム誘拐及びオランイェ家財産没収
  4/15 ディレンブルク亡命 オランイェ公ウィレム一世/ブレーデローデ伯
  8/22 アルバ公の恐怖政治「血の評議会」
1568/ 1/ オランイェ公ウィレム一世出廷拒否、「弁明書」公表
  4/25 オランイェ公ウィレム一世の挙兵開始(ダルハイムの戦い)
  5/23 ヘイリヘルレーの戦い ナッサウ伯ルートヴィヒ 一般的な八十年戦争の起点
  5/23 ナッサウ伯アドルフ/アーレンベルク伯ジャン・ド・リーニュ相討ち
  6/5 エフモント伯/ホールネ伯処刑
  6/ 「海乞食」スペイン商船襲撃
  10/17 フェリペ二世「セゴビア勅令」
    「私掠許可状」発行 オランイェ公ウィレム一世
1569/ 3/ ブリュッセル全国議会 十分の一税/二十分の一税賦課
1571/ 7/31 新課税案 アルバ公
  10/ エムデン全国カルヴァン派協会会議 代表ダテヌス宣教師
1572/ 2/ イングランド港に海乞食の出入禁止
  4/1 デン=ブリール占領 ルーメイ・ファン・デル=マルク
  5/ モンス奪取 ナッサウ伯ルートヴィヒ
  5/ ベルヘン包囲 アルバ公
  7/19 ドルトレヒト第一回自由連邦議会 オランイェ公ウィレム一世、ホラント州総督就任
  8/24 「サン・バルテルミーの虐殺」コリニー提督死去
  9/ モンス陥落
  11/ 「ドン・ファドリケの遠征」 メヘレン/ズトフェン/ナールデンの虐殺
  12/ スヘルデ川/アントウェルペン封鎖
  12/10 ハールレム7ヵ月包囲 アルバ公ドン・ファドリケ
1573/ 4/17 フリシンゲン占領
  5/28 ハールレム水上戦
  6/ ハールレム志願兵徴募 ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト
  7/12 ハールレム開城
  10/8 アルクマール包囲 水軍指揮コルネリス・ディルクスゾーン
    重税廃止、大赦
    オランイェ公ウィレム一世、カルヴァン派へ改宗
  10/11 ゾイデル海の海戦
  10/ レイデン包囲戦開始
  12/1 執政ドン・ルイス・デ=レケセンス着任
  12/18 アルバ公親子失脚
1574/ 2/9 ミッテルブルフ/ヴァルヘレン島奪取 「海乞食」
  2/ ホラント州議会、多数決原理の採択
  3/ レイデン包囲一時中断
  4/14 モーケルヘイデの戦い ナッサウ伯ルートヴィヒ/ナッサウ伯ハインリヒ戦死
  5/26 レイデン6ヵ月包囲再開 市長ファン・デル・ウェルフ
  9/1 海乞食のレイデン援軍 ボアソ提督
  10/3 レイデン解放
1575/ 2/8 レイデン大学開設
    「ブレダ和平交渉」失敗
  4/ 「ホラント/ゼーラント合同を議する会」
  9/1 スペインの破産
1576/ 3/1 ドン・ルイス・デ=レケセンス死去
  4/16 連邦の形成 元首オランイェ公ウィレム一世のホラント/ゼーラント州総督兼陸海軍総司令官就任
  6/21 ジーリクゼー/アールスト開城
  9/4 ブラバント州議会によるブリュッセル国務評議会議員逮捕 外国人排斥、宗教信念不干渉
  11/4 「スペイン兵の狂暴」 アントウェルペン略奪
  11/8 「ヘントの和平」 ルクセンブルク不調印
  11/ アウストリア公ドン・ファン、ルクセンブルク到着
1577/ 1/7 ブリュッセルで「ヘントの和平」の確認
  2/12 「永久令」発令 「ヘントの和平」の承認
  5/12 アウストリア公ドン・ファンのブリュッセル入り スペイン軍の撤退
  7/24 ナミュール占領 アウストリア公ドン・ファン
  8/ アントウェルペン援軍 ゼーリクゼー奪回 「海乞食」
  8/ ブリュッセル/ヘントで「十八人委員会」による都市支配権掌握
  9/24 オランイェ公ウィレム一世、ブリュッセル入り
  10/ オランイェ公ウィレム一世、ブラバント/ユトレヒト知事 Ruwaard に着任
  12/ 執政オーストリア大公マティアス招聘
1578/ 1/20 執政マティアス/副執政オランイェ公ウィレム一世の戴冠
  1/31 ジャンブルーの戦い パルマ公ファルネーゼをフランドル戦線に投入
    イングランドより援軍 ドイツ人傭兵ヨハン=カジミール
    ワロン二州が独自の行動を開始
  6/ ナッサウ伯ヤン六世、ヘルデルラント州総督に着任
  7/ オランイェ公ウィレム一世の宗教和平案失敗
    反国王派によるアムステルダム市政刷新
  10/1 アウストリア公ドン・ファン死去
  10/ 執政パルマ公ファルネーゼ着任
1579/ 1/6 南部諸州「アラス同盟」結成
  1/23 北部七州と南部十一都市による「ユトレヒト同盟」
  5/1 「アラス同盟」フェリペ二世と単独講和
  5/3 オランイェ公ウィレム一世「ユトレヒト同盟」加盟
  5/17 「アラス同盟」、パルマ公ファルネーゼを執政とする
  5/ 「ケルン和平交渉」失敗 神聖ローマ皇帝ルドルフ二世/ローマ教皇グレゴリウス十三世
  7/1 「パルマ公の九年」開始 マーストリヒト/スヘルトヘンボス開城
  7/22 アントウェルペン市「ユトレヒト同盟」加盟
1580/ 3/3 レンネンベルフ伯の密通 フロニンゲン州/ドレンテ州一部譲渡
  6/15 フェリペ二世、オランイェ公ウィレム一世の暗殺を指示
    連邦会議ハーグに移転
  9/19 「プレシ・レ・トゥール条約」 アンジュー公フランソワ擁立
  11/29 パルマ公ファルネーゼ、南ネーデルランド攻略開始
  12/13 「抗弁の書」発布
1581/ 1/2 デルフト全国議会でアンジュー公フランソワの擁立承認
  7/26 「王権廃止宣言」 ビネンホフでオランイェ公ウィレム一世全州の州総督に着任
    ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト 中・下層民の政治参加禁止
1582/ 2/19 アンジュー公フランソワ、ホラント領主着任
  3/18 ジャン・ジョルギー、オランイェ公ウィレム一世暗殺未遂
  7/5 アウデナールデ開城
  7/22 オランイェ公ウィレム一世、アントウェルペンよりデルフト入り
1583/ 1/17 「フランス兵の狂暴」 アンジュー公フランソワ
  7/ デンテルモンデ/メヘレン/ダンケルク/ニーウポールト開城
  8/ イープル/ブリュッセル/ヘント/ブリュージュ攻囲戦
1584/ 4/ イープル開城
  5/ ブリュージュ開城
  6/10 アンジュー公フランソワ病死
  7/3 アントウェルペン攻囲戦
  7/10 バルタザール・ジェラール、オランイェ公ウィレム一世暗殺
  7/10 リーフケンスフック攻防
  7/12 オランイェ公ウィレム一世戴冠予定日
  8/18 国務会議設置 ナッサウ伯マウリッツ、長官就任
  9/ ヘント開城
1585/ 3/ ブリュッセル開城
  8/20 「ノンサッチ条約」 イギリスより援軍
  8/27 アントウェルペン開城
  11/15 ナッサウ伯マウリッツがホラント/ゼーラント州総督就任
  12/ 総督レスター伯ダドリー フリシンゲン上陸
1586/ 2/ ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト、連邦議会法律顧問に就任
  4/ レスター伯「対敵通商禁止令」
  7/17 アクセル攻囲
  12/ レスター伯一時帰国
1587/ 1/1 ナッサウ伯マウリッツ、陸海軍最高司令官着任 プリンスと閣下の称号
  3/ イングランド評議員トマス・ウィルクス、抗議書提出
  7/ レスター伯再帰任
  12/ レスター伯辞職
1588/   連邦議会が主権行使
    財政・軍事・外交を国務会議へ委託
    「マウリッツの十年」開始
    三人のナッサウ伯(マウリッツ/ウィレム=ローデウェイク/ヤン七世)、軍制改革に着手
  7/29 アルマダの海戦 パルマ公ファルネーゼ一時進撃中止
1589/   ニーウェナール死去 ナッサウ伯マウリッツ、ヘルデルラント/ユトレヒト/オーフェルエイセル州総督着任
1590/ 3/4 「ブレダの泥炭船」
    オランダ軍制改革の完了
1591/ 10/ 「マウリッツの1591年遠征」 ~エイセル川支配
1592/ 9/ 「マウリッツのトウェンテ遠征」 ~ワール川支配
1593/ 6/ ビネンホフに連邦議会常設
  6/24 ヘールトライテンベルフ攻囲戦 ~マース川支配
1594/ 7/22 フロニンゲン攻囲戦
1595/ 7/24 フロール攻囲戦
1596/ 2/11 オーストリア大公アルプレヒト執政就任
  9/4 オランイェ公フィリップス=ウィレム、ブリュッセル帰還
  10/ 英・仏・蘭「三国同盟」 ネーデルランド連邦共和国の主権を他国が承認
1597/ 1/24 トゥルンハウトの戦い
  11/ 「マウリッツの1597年遠征」 ~ライン川支配
1598/ 5/2 ヴェルヴァン条約(フランス・スペインが講和)
  5/6 フェリペ二世、ネーデルランド継承権を王女イザベラ/オーストリア大公アルプレヒトに譲渡
  9/13 フェリペ二世死去 フェリペ三世王位継承
1599/ 5/15 ザルトボメル攻囲戦
1600/ 7/2 ニーウポールトの戦い
1601/ 7/5 オーステンデ攻囲戦
1603/ 3/6 イングランド女王エリザベス一世死去
  7/25 イングランド国王ジェームズ一世即位
    オーストリア大公アルプレヒト、セスト侯スピノラ将軍をフランドル戦線に投入
1604/ 5/18 ロンドン条約(イングランド・スペインが講和)
  9/ スライス攻囲戦
  9/22 オーステンデ開城
    ホマルス/アルミニウスの神学論争開始
1606/   オランイェ公フィリップス=ウィレム、ブレダ男爵位回復
1607/ 4/25 ジブラルタルの海戦 ヘームスケルク死去
    ハーグで休戦交渉開始
    『武器教練』出版
1608/ 1/ セスト侯スピノラ将軍、ハーグの休戦交渉に参加
    ナッサウ伯マウリッツ、公開書簡による休戦反対
  10/30 アルミニウス派が「感情宣言」発布
1609/ 4/9 「十二年休戦条約」締結 ネーデルランド連邦共和国の主権を対戦国スペインが承認
  6/27 オランイェ公ウィレム一世の遺産分配
  10/19 アルミニウス死去
1610/   ユトレヒトで大衆運動 主導者ディルク・カンテル
  4/4 ナッサウ伯フレデリク=ヘンドリク、ユトレヒト入城
  5/ カルヴァン派判事の罷免
    アルミニウス派説教師 ホラント議会へ「建白書」提出
  12/ ディルク・カンテル、レーワルデンに亡命
1612/   アムステルダム市域拡張計画
1613/   ナッサウ伯マウリッツ/フリードリヒ五世 ガーター勲章叙勲
1617/ 5/ 全国教会公会議招集の決定
  7/9 ロサエウス等、クローステル教会占拠
  7/16 ナッサウ伯マウリッツ、アイテンボハールトのミサに参列
  7/23 ナッサウ伯マウリッツ/ナッサウ=ディレンブルク伯ウィレム=ローデウェイク、ロサエウスのミサに参列し党派を最終選択
  8/4 連邦議会で緊急決議を採択
    ナッサウ=ジーゲン伯ヤン七世、ジーゲンに士官学校設立
1618/ 2/20 オランイェ公フィリップス=ウィレム死去
  2/ オランイェ公マウリッツ、デン=ブリールで市民軍を解散
  7/ オランイェ公マウリッツ、ユトレヒト州/ホラント州で市民軍を解散
  8/28 オランイェ公マウリッツのクーデター オルデンバルネフェルトら4名の逮捕
  11/13 「ドルトレヒト公会議」開催
1619/ 2/ 24名の裁判官からなる特別法定の制定
  5/13 ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト処刑
  5/29 「ドルトレヒト公会議」閉会 ホマルス派の勝利
  6/ 「州総督支配時代」の開始
1621/   オランイェ公ウィレム一世の記念碑建立
  4/2 フェリペ三世の死去
  4/9 対スペイン戦争再開
  4/14 共和国、プファルツ選帝侯フリードリヒ五世の亡命受け入れ
  7/25 オーストリア大公アルプレヒト病死
1623/ 1/ オルデンバルネフェルトの二子によるオランイェ公マウリッツの暗殺未遂
  10/2 ベルヘン=オプ=ゾーム攻囲戦
1624/ 6/10 仏蘭「コンピエーニュ条約」
  8/27 ロス=バルバセス侯スピノラ将軍、ブレダ攻囲開始
  10/ アントウェルペン奇襲計画の失敗
1625/ 4/4 ナッサウ伯フレデリク=ヘンドリク、アマーリア・フォン・ゾルムスと結婚
  4/23 オランイェ公マウリッツ病死
  6/2 ブレダ開城
1627/ 8/19 フロール攻囲戦
    オランイェ公フレデリク=ヘンドリク、ガーター勲章叙勲
1629/ 9/14 スヘルトヘンボス攻囲戦
1630/ 9/25 ロス=バルバセス侯スピノラ将軍病死
1631/   オランイェ家州総督職世襲法制化
1632/ 8/ 「フレデリク=ヘンドリクのマース川遠征」
1633/ 12/1 執政イザベラ病死
1634/   執政枢機卿王子フェルナンド着任
1635/ 2/8 仏・蘭の対スペイン防御同盟 南ネーデルランド戦線で三十年戦争介
1637/ 1/3 フランス国王ルイ十三世、オランイェ公フレデリク=ヘンドリクに「殿下」の称号授与
  10/11 ブレダ攻囲戦
1638/ 7/20 カロの戦い アントウェルペン攻略作戦の失敗
1639/ 10/31 ダウンズ沖の海戦 トロンプ提督の勝利
1640/   オランイェ家とホラント州の対立激化
    オランイェ公フレデリク=ヘンドリク、フロニンゲン/ドレンテ州州総督に着任
1641/ 5/2 ナッサウ伯ウィレム二世、イングランド王女メアリ=ヘンリエッタ・ステュアートと結婚
1643/ 7/ ウェストファリア講和会議の開始
1644/ 9/5 サス=ファン=ヘント攻囲戦
1645/   フルスト攻囲戦
1647/ 3/14 オランイェ公フレデリク=ヘンドリク病死
1648/ 1/30 「ミュンスター和約」(調印が1/30、発効が5/15) 連邦共和国の国際的承認 八十年戦争の終結
  10/24 「ウェストファリア条約」
1650/ 7/ オランイェ公ウィレム二世クーデター未遂
  11/7 オランイェ公ウィレム二世病死 第一次無州総督時代の開始

リファレンス

  • 佐藤弘幸『図説 オランダの歴史』、河出書房新社、2012年
  • 桜田三津夫『物語 オランダの歴史』、中公新書、2017年
  • 森田安一編『スイス・ベネルクス史(世界各国史)』、山川出版社、1998年
  • 川口博『身分制国家とネーデルランドの反乱』、彩流社、1995年
  • 栗原福也「十六・十七世紀の西ヨーロッパ諸国 二 ネーデルラント連邦共和国」『岩波講座 世界歴史(旧版)<15>近代2』、岩波書店、1969年