オランダ史は日本では昔からマイナーでした。そのため、かならずしもオランダ専門家によって紹介されてきたわけではなく、特殊な用語の訳出やカナ表記が研究者によってまちまちだったり、誤ったものが多用され、無批判のまま使い続けられてきました。オランダ史は、ドイツ史同様、オランダでしか用いない役職や専門用語が非常に多いです。
このウェブサイトでは訳語とカナ表記を、基本的には下記文献に合わせています。過去に管理人の指導教官(オランダ経済史専門)と話し合いのうえ決定したものの踏襲です。
- 『身分制国家とネーデルランドの反乱』川口博 彩流社 「予備的考察」
- 『講談社オランダ語辞典』講談社
身分・役職・称号
- Prins 公/ 「公爵」ではなく「公」。一般的な敬称は「閣下 Excellentie」。共和国時代の場合、「王」は居ないので「王子」という概念もあり得ません。オランイェ公の称号。「公爵」はHertogとして区別します。ウィレム沈黙公の死後、「オランイェ公 Prins van Oranje」は長男のフィリップス=ウィレムに継承されましたが、次男・三男であるマウリッツやフレデリク=ヘンドリクも、「ナッサウ伯」に加えて、この「Prins」の称号のみ与えられています。おそらく日本でいうところの「秀吉公」「家康公」に近い使い方で、この場合は、「マウリッツ公 Prins Maurits」「フレデリク=ヘンドリク公 Prins Frederik Hendrik」と、姓ではなく名のほうにつけられます。
- Stadhouder 州総督/ オランダ独自の官職。もともとは各州の軍事長官的な役割しかもたなかったものが、歴代オランイェ公が各州で兼任・歴任・世襲するにつれ、君主に近い役割をもつようになりました。スペイン政府から任命されたり自ら名乗ったりすることはできず、各州の議会によって、州単位でそれぞれ任命されます。単に「総督」と訳し、下の「執政」と混同される場合もありますが、このように全く性格を異にしているので注意。管理人は、混同を避ける目的も含め、個人的には「スタットハウダー」とカタカナで表記するほうが好みです。このウェブサイト内でも「スタットハウダー」としている部分が多いです。
- Landvoogd 執政/ スペイン政府からブリュッセルの執政府に派遣された、国王の代理人を称します。主権者(=スペイン国王)の代理として、州個別ではなく低地地方(本来は南北全体)を一括して支配するという意味。「総督」と訳する場合もありますが、「州総督」と区別するためにも「執政」と訳出するほうが良いかと思われます。
- Ruwaart 執政(摂政)/講談社オランダ語辞書だと「摂政」。上記Landvoogd を時期によって、Ruwaartとすることがあります。これは、スペイン国王による任命・派遣ではなく、連邦議会が独自に他国から招聘した場合などに適用されるようです。大意は同じで、こちらも州個別ではなく一括した概念です。
- Graaf 伯/ 伯の称号。ナッサウ家はもともとドイツ諸侯なので、ドイツ語で言う「Graf」とまったく同義。ドイツの「Graf」は概念も広く、定義するのも難しいのですが、基本的にその家の成人男子はすべて「伯」を名乗ることができます。たとえば、フランスの公国の長である「オランイェ公」は同時に2人以上存在することはありませんが、ドイツの「ナッサウ伯」は同時に何十人もぞろぞろ居るということです。
- Vorst 侯/Prins(公)とGraaf(伯)の間の称号。ドイツ語で言う「Fürst」と同義。侯以上で「閣下」の敬称が受けられるようです。このサイト内だと、ヤン六世の死後に分家されたナッサウ緒家(ナッサウ=ハダマール、ナッサウ=ディーツ、ナッサウ=ジーゲン)が1650年代以降に、皇帝によって伯から格上げされています。サイト内の人物の何人かは、時期によって「伯」と「侯」を書き分けています。日本語ではMarkies(侯)と同じ訳語をあてますが別物です。逆に英語には対応する訳語がなく、「Prince」とされてしまうので要注意。
- Landsadvocaat 法律顧問/ 「advocaat」はもともとは各州議会に助言をする法律の専門家。ホラント州の法律顧問のなかでもとくに、ホラント州議会だけではなく、連邦議会でも絶大な力を誇った場合、「advocaat van den lande」と呼ばれて、諸州全体の代表のような地位を占めました。八十年戦争の期間内でいえば、厳密には共和国成立後ということになるので、このタイトルはオルデンバルネフェルトただ一人を指すと考えて差し支えないと思います。
- Raadpensionaris 法律顧問/ホラント・ゼーラント州の法律顧問の呼称。八十年戦争期間中は、ホラント州の法律顧問が上記Landsadvocaatの職務をそのまま継ぐようなイメージです。カッツ、パウ、デ・ウィットなど、オルデンバルネフェルト以降の「法律顧問」はこちらのRaadpensionarisで表記されます。
- Generaal-Admiraal 陸海軍最高司令官/ 実際は海軍の指揮をすることはほとんどなかったのですが、その名のとおり、共和国陸海の軍事最高指揮権者。通常であれば君主のタイトルですが、君主のいない共和国では歴代オランイェ=ナッサウ家の当主がこの地位を「州総督」と兼任したため、オランイェ=ナッサウ家の権威を高めることにもなりました。半ば意訳のため訳語が長いです。
- Ridderschap 騎士身分/ ガーター騎士団や金羊毛騎士団などの「騎士団」とは違うため、便宜的に「騎士身分」と訳しました。州別の貴族のコミュニティで、州によってその権限内容は違っており、議会での発言権や、連邦議会への代表権がある場合もあります。名誉職ではありますが、メンバーはその州内に封土を持つ貴族で、プロテスタントの者に限られます。
- Gouverneur-Generaal 総督/ 「総督」と訳するのは、東インドや新世界におけるオランダ植民地執行部の長。「州総督」「執政」「総督」は、それぞれ全く役割の違うものなので、明確に区別します。
- Kurfürst von der Pfalz/Elector Palatine プファルツ選帝侯/独語および英語。下記ライン宮中伯の中でも、選帝侯位を有する場合の称号。このサイトで扱う時代に限っては、基本的にはヴィッテルスバッハ(プファルツ=ジンメルン)家の家長を指します。
- Kurpfalz (Pfalzgraf bei Rhein)/Count Palatine of the Rhine ライン宮中伯(独)/パラティン伯(英)/選帝侯位を有さないヴィッテルスバッハ(プファルツ=ジンメルン)家の男子については、「ライン宮中伯」の訳語を採用しました。「パラティン伯」と訳されているものもよく見かけますが、おそらくこれらの使い分けは、元の文献が独語か英語かという違いかと思われます。表記は、von der Pfalz(独)、 of the Palatinate/of the Rhine(英)などとされます。プファルツや宮中伯周りについては、成立と変遷の経緯も複雑なので、日本語も含め、何語でいう場合でもちょっとわかりにくいです。
- Infante/Infanta 王子・王女/スペイン語またはポルトガル語。イベリア半島の王国の王族に特徴的な称号。ほかの称号と組み合わせることも(例: Cardinal-Infante 枢機卿王子)。
- Archduke/Erzherzog オーストリア大公/英語と独語を記載しました。ハプスブルク家に特徴的なもので、オーストリア領主の称号。「伯」と同様、一族の長に限らず、成人男子が用います。「オーストリア」は英語由来の表記なので、「エスタライヒ大公」とでもするのが本来なのかもしれませんが、日本では外務省による公式表記は「オーストリア」のため、それがそのままこの称号にも採用され、一般的に「オーストリア大公」とされるのだと思います。単に「大公」とする場合もあります。
国家・議会
- de Republiek der Verenigde Nederlanden オランダ連邦共和国/ 「反乱」の結果生まれた、ヨーロッパ初の国家形態。このウェブサイト内では、単に「オランダ」「共和国」「連邦共和国」と書くことも有。正式名称として、「ネーデルランド連邦共和国」と表記したほうがベターです。
- de Tachtigjarige Oorlog 八十年戦争/ オランダ人は「独立戦争」とは言わず、その期間(1568-1648)を指して「八十年戦争」と呼びます。たぶんオランダ語には八十年戦争のことを指す「独立戦争」という固有名詞はないのではないでしょうか。 (アメリカ等の「独立戦争」など、一般名詞としてはもちろんあります)。
- Opstand 反乱/ 英語では Revolt。上記とかぶりますが、「独立戦争」ではなく、あくまで当初はスペインの圧制に対する「反抗」でした。「革命」Revolution でもありません。
- Staten Generaal 連邦議会/ いちおうの共和国最高組織。各州議会の代表者が集まって構成されています。しかし、その絶対的な権限は火急的な項目だけに限られており、その他のことは、すべて州議会以下の下部組織に図って決定していました。全会一致をとっているため、ある一州の反対があれば、それぞれの州議会に議事を持ち帰り、全会一致になるまで協議をつづけたわけです。地方分権を徹底するがゆえに、結果悠長になってしまった組織ともいえます。詳細は「オランダ連邦共和国の制度」へ。
- Raad 州議会・参事会/ 一般的には各州それぞれの州議会・州参事会。この下部組織としてさらにその州内の各都市議会Vroedschapがあります(たとえばホラントの場合18都市)。州議会の代表者が連邦議会に赴き、共和国の国事を決定します。
- Secreet Besogne/Geheim Besogne 外交機密委員会/ フレデリク=ヘンドリクが自らの腹心を配し、その権限を強化した連邦議会下部組織。外交に特化しており、「機密」とは訳しましたが諜報局のようなものとは違います。フェリペ二世時代の「枢密院」Geheime Raad とも区別します。
条約・宣言
- Vrede van Ghent ヘントの和平/ 1576年。「ガン条約」とも。名前は「和平」ですが、事実上の軍事同盟。この時点では、ネーデルランド全十七州が結束していました。
- Unie van Utrecht ユトレヒト同盟/ 1579年。ネーデルランドを北部と南部に分割することになったとされる同盟。北部諸州がスペイン政府に対し徹底抗戦を誓ったもの。南部諸州はこの直前に「アラス同盟」を結成しており、ブリュッセルの執政府と講和しました。
- Afgezworen/Afzwering/Plakaat van Verlating 廃位布告/ 1581年。「独立宣言」と訳するのは大きな間違い。北部諸州は、スペイン政府から派遣された「執政」ではなく、独自に外国から自分たちの主権者(具体的にはフランス王弟アンジュー公フランソワ)を招聘するため、スペイン国王の主権を剥奪する必要がありました。独立の宣言ではなく、単に他の君主を招聘するために現君主(およびその代理人)を除ける、という旨を明記したもの。
- het Twaalfjarige Bestand 十二年休戦条約/ 1609年。州総督派ら軍部の反対を押し切り、法律顧問ら州議会派がスペインと締結した12年間の休戦条約。このときの対立がもとで、共和国はその終焉までふたつの派閥に二分されてしまいます。
- Dordtse Synode ドルトレヒト全国教会会議/ 1618-19年。オルデンバルネフェルト等の裁判と同時進行で行われました。十二年休戦条約後に持ち上がった宗教対立に決着をつけたもの。「ドルト信仰基準(TULIP)」を採択した会議です。
所属その他
- Regent レヘント/ 複数形は「レヘンテン」。日本語に意訳するなら、「都市門閥貴族」。生まれついての貴族とは違い、いわゆる「商人貴族」。とくにホラント州・アムステルダムに多く、多くが海運で富を築き、ホラント州議会への発言権を得た人々のことです。もともとオランダには大貴族はオランイェ公しか居なかったため、商人たちが小貴族たちを退けて力をつけるのは非常に容易でした。法律顧問も大抵がこのレヘント層の人物です。無理に訳せず「レヘント」(複数の場合もあまり「レヘンテン」とはせず「レヘントたち」)と表記する場合が多いようです。もっとも、彼らの多くは領地を購入することで貴族化しています。
- Geuzen 乞食(党)/詳細は 「「乞食党」のはなし/「ヘーゼン」と「ゴイセン」」へ。
- Waardgelders 市民軍/AoE3のユニットでも 「ワードゲルダー」として、登場したので、いちおうここにもメモ。都市が独自に組織している集団です。イメージとしては、レンブラントの『夜警』の人々のようなもので、フランス・ハルスの「集団肖像画」にも彼らが描かれているものがいくつもあります。軍や兵と訳してはいますが、「反乱」当初こそ義勇軍として機能した可能性もありますが、17世紀中期以降はほとんど各都市の紳士クラブや同業者ギルドのようなもので、軍事訓練も受けておらず、兵力としての要素はほぼ皆無になっていると思われます。
- Remonstranten 穏健派/「レモンストラント派」「アルミニウス派」「穏健派」、いずれも同義です。1610年以降に対立が激化したアルミニウス論争において、より穏健で寛容な解釈をした人々のこと。裕福なレヘント層に広まりました。「レモンストラント派」と表記するのが本来なのですが、どちらがどちらか混同しやすいので、このサイト内では「アルミニウス派」として統一しました。ドルトレヒト教会会議で排されました。
- Contra-Remonstranten 厳格派/「反レモンストラント派」「ホマルス派」「厳格派」、いずれも同義です。1610年以降に対立が激化したアルミニウス論争において、より厳格で強硬な解釈をした人々のこと。反スペインを掲げる人々に広まりました。 「反レモンストラント派」と表記するのが本来なのですが、どちらがどちらか混同しやすいので、このサイト内では「ホマルス派」として統一しました。 ドルトレヒト教会会議で採択されました。
リファレンス
記事中に挙げた参考URL以外については以下のとおり。
- 佐藤弘幸『図説 オランダの歴史』、河出書房新社、2012年
- 桜田三津夫『物語 オランダの歴史』、中公新書、2017年
- 森田安一編『スイス・ベネルクス史(世界各国史)』、山川出版社、1998年
- 川口博『身分制国家とネーデルランドの反乱』、彩流社、1995年
- 栗原福也「十六・十七世紀の西ヨーロッパ諸国 二 ネーデルラント連邦共和国」『岩波講座 世界歴史(旧版)<15>近代2』、岩波書店、1969年