オランダの軍制改革の成果をイングランドに持ち帰り、且つ、イングランド内戦で活用した中でも代表格。この父子だけではなく、一族の多くがオランダに渡っています。
キャメロン男爵フェルディナンド・フェアファクス Ferdinando Fairfax, 2nd Lord Fairfax of Cameron
- 第二代キャメロン男爵 2nd Baron Fairfax of Cameron
- 生年: 1584/3/29 ヨークシャー(英)
- 没年/埋葬地: 1648/3/14 ヨークシャー/ボルトン・パーシー(英)
生涯
彼の父親の第一代キャメロン男爵トマスは、ごく初期(レスター伯時代)のオランダでフランシス・ヴィアー配下の兵士として戦い、その後スコットランド戦役や政治家として活躍し、ついにはキャメロン男爵を興した人物です。その長男フェルディナンドはイングランド内戦(清教徒革命)の議会派として活躍したイン グランド軍人。父のトマスは息子たちを軍人とするべく、オランダへ次々と放り込みました。しかしフランシス・ヴィアーに預けた長男フェルディナンドに関しては、「臆病だ」と嘆いています。そのためもあったのか、フェルディナンドのオランダでの戦役期間は長くはなく、若年期、10年に満たない程度と思われます。1614年以降はイングランド議会の議員として政治家でもありました。イングランド内戦期には、長男トマスとともに議会派として戦っていますが、やはりどちらかというと攻撃型ではなく防御型のタイプだったようです。
弟が6人いましたが、そのうちの2人、ウィリアムとジョンは1620年以降、ホレス・ヴィアーのもとでオランダ・ドイツ(プファルツ)戦役についていました。この2人はいずれも1621年にフランケンタールで戦死しています。
リファレンス
キャメロン男爵トマス・フェアファクス Thomas Fairfax, 3rd Lord Fairfax of Cameron
- 第三代キャメロン男爵 3nd Baron Fairfax of Cameron
- 生年: 1612/1/17 ヨークシャー(英)
- 没年/埋葬地: 1671/11/12 ヨークシャー/ボルトン・パーシー(英)
生涯
フェルディナンドの長男。1628年以降ホレス・ヴィアー指揮のオランダ戦線に志願したため、2人の叔父を頼っていったものと思われます。ホレスの四女アンと1637年に結婚。イングランド内戦以降、議会側が「新型軍」で勝利をおさめたのは、トマスらオランダ経験者の功績によるところも大きいです。
* 各国元首その他オランダ以外を主要な活躍の場としている人物については、サイトの主旨上、オランダと直接関わった事項または八十年戦争(三十年戦争)期間中の行動について記載しています。そのため逆に、その人物の大まかな伝記ではあまり出てこないエピソードがメインになることもあるかもしれません。
トマス・フェアファクスを主人公にした小説や映画があります。
小説『白馬の騎士―愛と戦いのイギリス革命』上・下
DVD『To Kill a King』(クロムウェル~英国王への挑戦~)
リファレンス
記事中に挙げた参考URL以外については以下のとおり。
- 友清理士『イギリス革命史(上)―オランダ戦争とオレンジ公ウイリアム』研究社、2004年
- 1911 Encyclopædia Britannica
- “DNB00“