ベルベデーレ侯ルイス・デ・ベラスコ Luis de Velasco, Marqués de Belvedere

Arolsen Klebeband 01 405 1

Unknown (17th century?) In Wikimedia Commons

  • ベルベデーレ侯 Marqués de Belvedere(1616)、サラサル伯、Conde de Salazar(1621)、サンティアゴ騎士(1596)、金羊毛騎士(1622)
  • 生年: 1559 バリャドリッド(西)
  • 没年: 1625/9/13 ダンケルク(仏)

生涯

1594年頃、フエンテス伯に従って低地地方にやってきた軍人。1595年のフロール攻囲戦で名を挙げ、1596年にはフルスト攻囲戦やカレー攻囲戦でアルプレヒト大公のもと将軍となりました。1597年にはフランスに転戦して、翌年スペイン・フランス間の休戦条約「ヴェルヴァン条約」に結びつく活躍をします。以降、スピノラ将軍が現れる前後のオーステンデ攻囲戦までは、スペイン側の将軍としてはトップを張っていたといえるでしょう。ほとんどの戦いの中にその名前を見ることができます。ただし、1600年のニーウポールトの戦いでは、野戦そのものには参加しておらず、後にニーウポールトの街の守備隊として増援に来ています。

1603年以降、フランドル方面軍の騎兵の総司令官となり、その死まで22年間その地位に就いていました。十二年休戦の間はブルゴーニュ方面に派遣され、サヴォイアとのモンフェラート継承戦争などに介入しているようです。オランダとの戦いが再開されるとフランドル方面軍に戻り、スピノラ将軍とともにベルヘン=オプ=ゾーム攻囲戦、ブレダ攻囲戦などに参加しました。ブレダ開城後ダンケルクに赴き、要塞の視察後、急に熱病に罹り亡くなったそうです。

二代に渡ってヌエバ・エスパーニャ副王を務めた同名のルイス・デ・ベラスコ父子(父はサリナス卿、息子はサリナス侯)いずれとも別人です。母方で血はつながっているようです。

リファレンス

  • Motley, “United Netherlands”