「アルバ公」として有名なのは、父フェルナンドのほう。ファドリケはフェルナンドの次男で、ネーデルランドでは父のフェルナンドと一緒に言及されることが多いため、一般的に「ドン・ファドリケ」と書かれて区別されます。(実際にファドリケがアルバ公位を継ぐのは父の死後となります)。
アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド Fernando Álvarez de Toledo y Pimentel
- 第三代アルバ公 III Duque de Alba 他
- 生年: 1507/10/29 アビラ(西)
- 没年: 1582/12/11 リスボン(葡)
生涯
準備中。
リファレンス
- ウェッジウッド, C.V. (瀬原義生 訳)『オラニエ公ウィレム―オランダ独立の父』文理閣、2008年
- University Leiden, “Personen“
- 1911 Encyclopædia Britannica
アルバ公ファドリケ・アルバレス・デ・トレド Fadrique Álvarez de Toledo y Enríquez de Guzmán
- 第四代アルバ公 IV Duque de Alba 他
- 生年: 1537/9/21 リスボン(葡)
- 没年: 1583/12/11 リスボン(葡)
生涯
彼は父親の悩みの種だったようです。若い頃に国王の許可を得ずに秘密裏に結婚したため、フェリペ二世の不興を買ってアフリカ戦線に送り込まれたりもしました。父の計らいでネーデルランド方面指揮官となった1572-1573年の2年間は、「ドン・ファドリケの遠征」とも呼ばれるスペイン攻勢の時期で、メヘレンを皮切りにナールデン、ハールレムなどで激しい虐殺をおこなって、反乱軍を窮地に立たせました。しかし父フェルナンドの失脚と時を同じくしてアルクマールの攻囲戦に失敗し、父と共にスペインに帰国を余儀なくされます。その後も宮廷で女性がらみのスキャンダルを重ね、国王の歓心を失ったばかりか投獄の憂き目にも遭うことになりました。この投獄中にひどく体を壊し、ちょうど父親の死の翌年の同じ日に病死しました。
リファレンス
- ウェッジウッド, C.V. (瀬原義生 訳)『オラニエ公ウィレム―オランダ独立の父』文理閣、2008年
- University Leiden, “Personen“