第三代アイトナ侯フランシスコ・デ・モンカダ Francisco de Moncada, 3er Marquès d’Aitona

Anthonis van Dyck 076

Anthony van Dyck (circa 1633/1634) In Wikimedia Commons

  • 駐独スペイン大使(1624-29)、南ネーデルランド執政(臨時) Landvoogd van de Nederlanden (ad interim)、文筆家
  • 生年: 1586/12/29 バレンシア(カタルーニャ)
  • 没年: 1635/8/17 ブリュッセル(白)

生涯

スペインの政治家。駐神聖ローマ帝国大使を務めたことで、スペイン・オーストリア両ハプスブルク家から信頼を得ます。1629年、スヘルトヘンボスがオランダに奪還された直後に南ネーデルランドに執政の大公妃イザベラの助言者として派遣され、敗戦に混乱している執政府をまとめる役割を果たしました。

同時にフランドル海軍長官にも任じられ、さらに、1632年に陸軍長官のファン・デン=ベルフ伯の離反に伴ってその地位をも継ぎます。1633年には、マース川沿いのステーフェンスウェールトを占領し、数ヶ月に渡ってオランイェ公フレデリク=ヘンドリクの軍を翻弄しました。同年末、大公妃イザベラが死去すると、その次の執政である枢機卿王子フェルナンドがネーデルランド入りするまでの約1年弱、執政代理を務めました。このときに、スペイン本国の意向を受け、執政府の和平推進派を一掃することにも成功しています。

1635年、シェンケンシャンツ攻囲戦の最中、近郊のキャンプで熱病で死亡。なお、幼い頃に「ドン・キホーテ」を読んだことがきっかけで歴史にも精通し、ギリシャ・ローマの歴史についての著作も何冊か遺している著述家でもあります。

リファレンス