-
- フロッベンドンク男爵(のち伯) Baron / Graaf(1637) van Grobbendonk、ティルブルクおよびホイルレ卿 Heer van Tilburg en Goirle (1604)、スヘルトヘンボス知事 Gouverneur van ‘s-Hertogenbosch、サンティアゴ騎士
- 生年: 1564 アントウェルペン(白)
- 没年: 1641 ブリュッセル(白)
生涯
銀行家の家系の出で、父親はロシアやブラジルの貿易を手がけつつ、フェリペ二世の銀行家でもありました。アントニー自身は21人いる子供のうちのひとりですが、結婚によってティルブルク卿となります。カトリックの家系で1589年からスペイン軍に身を投じたアントニーはすぐにスヘルトヘンボス知事となり、1602年と1603年のナッサウ伯マウリッツによる攻囲戦を見事に耐え切りました。
1629年、オランイェ公フレデリク=ヘンドリクによってスヘルトヘンボスは共和国に組み入れられることになります。しかし1637年、70歳を越えたアントニーはルーヴァン知事に任じられ、フランス・オランダ連合軍からルーヴァンを死守しました。そのときの功績で、国王フェリペ四世より男爵から伯とされています。
リファレンス
- “NNBW“