- フエンテス伯 Conde de Fuentes、南ネーデルランド執政 Landvoogd van de Zuidelijke Nederlanden
- 生年: 1525/9/18 サモラ(西)
- 没年: 1610/7/22 ミラノ(伊)
生涯
スペイン軍古参の将軍。同世代でもあるフェリペ二世の近習でした。遠戚でもあるアルバ公に従ってポルトガル戦線で活躍します。パルマ公ファルネーゼののち2年おきに変わる南ネーデルランド3執政の最後のひとり。(彼の後は、オーストリア公アルプレヒト・イザベラ夫妻が30年以上執政位に就きます)。ナッサウ伯マウリッツの「マウリッツの十年」期には、70歳近い老齢ながらたびたび軍勢を率いて登場します。1595年にはフランスとの戦いでカンブレーを奪取しました。
アルバ公にも通じる残虐な性格が、近親者も含めてとにかく嫌われた将軍です。敵味方に関わらず情け容赦は一切なく、強権にものを言わせるのみならず、頭も切れるので、反対派が束になってかかっても返り討ちにしてしまうほどです。とくにマンスフェルト父子とは仲が悪く、他人を陥れる権謀にも長けていて、南ネーデルランド執政エルンストが急死した後も、各所に手を回してライバルを蹴散らし執政職を手にしました。
フェリペ二世の死の直前になってスペイン「大貴族」となりました。また、フエンテス伯となったのも遅く、60歳の頃結婚し、妻のフエンテス女伯との共同タイトルになります。
1600年からはミラノ総督。「スペイン街道」の維持管理のための派遣でした。恐怖政治を敷き、イタリアの住民には恐れられましたが、派遣目的に対する成果と外交手腕は大きく評価されました。対フランス政策でサヴォイア公と協力したり、フランス大元帥による「ビロンの陰謀」にも影から糸を引いていました。ミラノで85歳で死亡。カラトラバ騎士。