稜堡式城塞
「稜堡式」というのは、上空から見たときに星型に代表される幾何学型を持つ人工的な都市防衛システムです。日本でも函館の五稜郭が有名です。
攻城用火器の登場は、ヨーロッパの城塞にも大きな変化をもたらしました。
最初に近代要塞への転換が図られたのはイタリアです。フランスの攻城砲に対し、中世以来の高い城壁は何の役にも立たなかったどころか、むしろ格好の的になってしまいました。そのため、城壁を取り払い、大砲の攻撃からの死角を無くしつつ防御にも効率の良い、星型(多角形型)の要塞が登場することになります。「稜堡式要塞」と呼ばれるこの城郭の築城方法のうち、初期にイタリアで始まったものを「イタリア式築城術」といいます。その後ヨーロッパ各国に広まるにつれその土地の地形に合わせて特化していき、17世紀後半、フランスのヴォーバン元帥による「フランス式築城術」でいったんの完成を見ます。
これらの要塞は、基本的には国境地域や河川沿いの街などの紛争地帯、または攻囲戦に伴って建設される砦に用いられました。そのため、外敵の脅威の少ない場所(フランスの場合はパリ周辺等の内陸部、オランダの場合はハーグやデルフトなど)では採用されていないことも多いです。
初期のイタリア式の考え方は、城塞の四隅の塔の部分を、円形から菱形へ変換させて死角をなくすことです。この菱形の部分を「稜堡 bastion」と呼びます。また、稜堡と稜堡の間の中堤の防御のため、「ラヴェラン(半円堡) ravelin」と呼ばれる台場が置かれました。
旧オランダ式築城術
オランダ式築城術は、16世紀後半の「反乱」時代から八十年戦争期にかけての「旧オランダ式築城術」と、17世紀後半、クーホルン男爵(フランスのヴォーバン元帥と同時代人)による発展型、「新オランダ式築城術」の2つに分かれます。ここでは旧オランダ式を取り上げます。
旧オランダ式は、アルクマールの建築技師アドリアーン・アントニスゾーンや数学者シモン・ステフィンによって発展・完成されました。軍制改革後のイメージが強いですが、「反乱」期、ウィレム沈黙公の時代から採用されています。
オランダは文字どおり「低地地方」です。イタリア・フランス・ドイツのように、岩山など垂直方向への天然の要害には恵まれていません。逆に、国土を縦横に走る河川や運河が、水平方向の要害として利用できました。オランダの要塞は縦への高さというよりは、横への面積の広さにその特徴があります。
菱形の稜堡だけでなく、様々なかたちの堡塁が発達しました。
- 稜堡 bastion …堡塁隅の菱形に出っ張った部分。画像5。
- 角堡(かくほう) horn …読みは「かく」ですが意味は「つの」。出っ張りが2つのもの。画像3。
- 凹角堡(おうかくほう)tenaille …トゥナイユ。角堡と似てます。2つの鋭角をもつ台場。画像A。前面ではなく、ラヴェランや半月堡の後背に置かれるものを凹堡と呼びます(英語ではおなじトゥナイユ)。
- 王冠堡(おうかんほう) crown …角堡の中央にさらに1つ出っ張りをもたせたもの。
- 「教皇の帽子」 bonnet …王冠堡と似てます。3つの鋭角をもつ台場。double-tenailleとも。
- ラヴェラン ravelin …あまり日本語にしないみたいです。半円堡。半円というより上弦/下弦の月型の凸四角形の台場。画像B。
- 半月堡(はんげつほう) half moon/demilune …半月、というより三日月型の凹四角形の台場。ラヴェランの一辺が凹んでるタイプ。画像2。
- 水路・水濠 ditch …他の地域でも水路は用いますが、オランダの場合は二重三重にして水平方向の防御とします。画像4。
- 凸角堡(とつかくほう) redan …レダン。1つの鋭角をもつ稜堡。包囲線上で方型堡との組み合わせで使われます。
- 方形堡(ほうけいほう) redoubt …稜堡をもたない完全に真四角のもの。要塞周囲の小砦などに使われます。
- 中堤(ちゅうてい) curtain wall …稜堡と稜堡を結ぶ直線部で、もとは高い城壁のあった部分。
- 堡障(ほうしょう) counter garde …半月堡とも似てます。ラヴェランや半月堡の前にさらに防御のためにおくもの。
- 斜堤(しゃてい) glacis …最外郭のなだらかな斜面。
- シターデル citadel …この場合は要塞内要塞のこと。街の中に城がある場合など。
このような新型要塞は、その建設費用も非常に高額です。街が破産したり、工事が中途になってしまったなんて話はよくあります。オランダの場合は、さらにその維持費用も嵩みました。他の地域では、それぞれの堡塁がレンガや石壁で補強されるようになっていきますが、石材の不足するオランダでは土塁に頼らざるを得ません。加えて、嵐や洪水などによる土砂の流出に悩まされる地形条件でもあり、日常的にメンテナンスが必要になります。
また、要塞の周囲に張り巡らされた水路は、冬期には凍結のため全く用を成さなくなってしまいます。そのため、冬になったら水を抜くことができるような細工まで施す必要がありました。「洪水線(堤防決壊戦術)」との連携も特徴です。ダムによって水を堰き止めたり、逆に一気に放水することによって敵の侵入を阻むなど、水を用いた戦術も立案されました。
各都市の具体的な事例については、「ブラウの地図に見るオランダ型要塞の事例」に記事を分割しました。
おまけ:オランジュの「古城」
ナッサウ伯マウリッツが1618年にオランイェ公を継いで後、1620年に南仏の領地オランジュのサン=トゥトロップの丘に建設させた11の稜堡をもつ巨大城塞。本人は現地に赴いていませんが、おそらく手がけた中では唯一の、垂直方向に縦深のある要塞です。なので、「オランダ式」と言えるかどうかというとちょっと微妙。
なお、「古城 le château vieux」と呼ばれていてとくに固有名詞は無いようです。街自体も要塞化されています。オランダ侵略戦争でルイ十四世に破壊されるまで、ヨーロッパの要塞の中でも最も強固なもののひとつに数えられ、有事には1万人を収容できる設計だったそうです。現在は世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺」の一部。
リファレンス
- 『戦略戦術兵器事典<5>ヨーロッパ城郭編』学習研究社、1997年