「旧オランダ式築城術」から記事を分割しました。
このサイト内でもお世話になっている「アトラス・ファン・ローン」とは、17世紀後半の地図好きの実業家フレデリク=ウィレム・ファン・ローンが、その頃までに出版されていた何人かの地図製作者による地図帳を収集し編纂したものです。1640-1670年代の地図が18巻にわたってまとめられており、ここに挙げたものはその一部(おもに下記の15巻「諸都市の景観」)です。作者不詳となっているのも、ブラウの地図に準拠しています。
「アトラス・ファン・ローン」の低地地方に関する巻は以下のとおりです。
- 3巻: ヨアン・ブラウによる「大地図帳」のうち低地地方の地図
- 15巻: ヨアン・ブラウによる「諸都市の景観」のうちオランダの要塞建築
- 16巻: ヨアン・ブラウによる「諸都市の景観」のうち南ネーデルランドの要塞建築
オランダ型要塞建築
ナッサウ砦
ワール川とマース川のジャンクション地点、フォールネに建設されたナッサウ砦。防御の要地に建てられた砦ですが、ラヴェランは一ヶ所だけ、あとはすべて稜堡のみの比較的シンプルな六芒星型です。
リーフケンスフック砦
アントウェルペン近郊のスヘルデ川沿いのリーフケンスフック砦。稜堡をもった方形堡の両脇にラヴェランがあります。
リロ砦
こちらもアントウェルペン近郊のスヘルデ川沿いリロ砦。リーフケンスフックの真向かいにあります。小さいながらに、凸角堡(レダン)や堡障でガチガチに固められたすぐれもの。
フロール
フロール攻囲戦(1627)の後にオランイェ公フレデリク=ヘンドリクによって強化されたフロールの街。六芒星型の街に、ラヴェランとハーフムーンを交互に配したほぼ左右対称の美しい形になっています。
クーフォールデン
こちらはクーフォルデン攻囲戦(1592)後に、ナッサウ伯時代のマウリッツによって五芒星型から完全な正七芒星型にレベルアップされたクーフォルデン。この図の右下がシターデル(要塞内要塞)のクーフォルデン城です。
ステーンベルヘンとヘンドリク砦
ステーンベルヘンとその近郊のヘンドリク砦。こちらもフレデリク=ヘンドリクによる、西ブラバント洪水線(ステーンベルヘン⇔ベルヘン=オプ=ゾーム間の短い洪水線)の一貫として整備されたセットです。街の側には王冠堡と角堡が、ヘンドリク砦にも角堡があります。
レース
ライン川沿いの街レース。ユーリヒ=クレーフェ継承戦争ののち、ブランデンブルク選帝侯に代わって一時期(1616-1625)オランダ兵が駐屯していた街です。その10年ほどの間にこんなにあちこち補強されました。稜堡、ラヴェラン、半月堡、凹角堡、角堡、方形堡、堡障…と、ほぼあらゆると言っても良いほど様々な堡塁が用いられています。
ブレダ
フランソワ・ファン・アールセンが「マウリッツ公の最高傑作」と称したブレダ。これは1637年に奪還した後にさらにフレデリク=ヘンドリクの手の入ったもの。マスターピース、というより、この兄弟単に土木マニアなだけじゃ…? オランイェ公にとっては「自宅」にもあたる街ですから、力の入るのもわかりますが。
ハールレム
1573年に激しい攻囲戦のあったハールレム。ですが、その70年後にもとくに要塞化されていません。ホラント州やゼーラント州の小都市で、陸からの脅威の少ない(と思われる)街は、このようにせいぜい堀で囲まれた程度の全くのフラットだったりします。連邦議会のあるハーグも同様です。
リファレンス
- 『戦略戦術兵器事典<5>ヨーロッパ城郭編』学習研究社、1997年