17世紀のバロック絵画で「集団肖像画」というと、オランダ画家だとフランス・ハルスに代表されるような、レヘント・議員たち・市民軍など、横並びの集団を扱ったものが一般的です。貴族の場合は、フランドル画家ヴァン・ダイクに代表されるような家族肖像画がありますが、こちらは大抵が一家族(親子・夫婦・兄弟)で、子供が多い場合以外はあまり人数も多くなく、世代もせいぜい三世代、二親等くらいまでがほとんどと思われます。
そこいくと、ナッサウ家は案外特殊なのでは…と思うに至りました。従兄弟・又従兄弟を含め五親等くらいまでが一緒の肖像に納まっていたり、その中に故人までが描き入れられていることもあります。中でもフリースラント・スタットハウダー周りを扱ったデ・ヘーストの作品がよく見られるので、ここにまとめておくことにしました。
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ウェイブラント・デ・ヘースト
ウェイブラント・デ・ヘーストはフリースラント出身のステンドグラス職人の息子。とはいえ、フランスやイタリアにグランドツアーに行ってますから、それなりに裕福な環境で育ったと思われます。ローマではオランダ出身の画家サークルに入って技を磨き、その後1622年に結婚(レンブラントの妻サスキアの姪)しているので、この頃には故郷に戻っていたと考えられます。すぐにフリースラント州総督に雇われたといいますが、おそらくエルンスト=カシミールの時代になってからでしょう。
デ・ヘーストの集団肖像画
現在ホテルとなっているレーワルデンの州総督の館(所有権はフリース博物館)を中心に、デ・ヘーストの描いたフリース=ナッサウ家の集団肖像画が多数残されています。エルンスト=カシミールの叔父たちであるナッサウ=ディレンブルク伯たち、兄弟たちなど、故人の集団肖像画が目立ちます。オランイェ公マウリッツがラーフェステインに描かせた各故人の肖像などを参考にしていると思われます。エルンスト=カシミールの死後にも作品があることから、ナッサウ諸伯やその関係者にデ・ヘーストが引き続き重用されたのがわかります。
ここに挙げた絵画は、わかりやすい関係性だけで構成されていないほうが多数派なので、説明文もわかりにくい書き方になってしまっています。そのため絵画と人物に番号をつけて記載しました。
なおオランダ国内メインの記事のため、ナッサウ伯ヨハン六世/七世/八世は蘭語で「ヤン」と表記しています。ヤン七世本人は描かれていませんが、彼の息子10人は4枚の絵画に分かれて全員登場しています。
ナッサウ家家系図はこちら。
A. オランイェ公ウィレム一世の4人の弟伯たちの集団肖像画
Group Portrait of the Four Brothers of William I, Prince of Orange
アムステルダム国立博物館 SK-A-566
アムステルダム国立博物館所蔵の、ウィレム沈黙公の弟たち。もちろん制作時点で全員故人、最大で半世紀以上前の人物を描いたものです。左から、
- ナッサウ伯ルートヴィヒ(三弟)
- ナッサウ伯ヤン六世(次弟)
- ナッサウ伯アドルフ(四弟)
- ナッサウ伯ハインリヒ(五弟)
B. 4人のナッサウ=ディーツ伯たちの集団肖像画
Groepsportret van vier graven van Nassau-Dietz
フリース博物館 S00025
A-2のヤン六世の息子たちを描いたもの。Aの「ウィレム沈黙公の4人の弟伯たち」と対比するような構図なのもおもしろい。制作年代に10年の幅があるので微妙ですが、エルンスト=カシミール戦死後の作品かもしれません。というのも、兄弟の年齢差が実際と合っておらず、どうやら死亡時点での年齢っぽい。なお絵のタイトルは「ディーツ伯」ですが、この中でディーツ伯はエルンスト=カシミール1人だけです。左から、
- ナッサウ伯ローデウェイク=ヒュンテル(六男)
- ナッサウ=ディレンブルク伯ウィレム=ローデウェイク(長男)
- ナッサウ=ディーツ伯エルンスト=カシミール(五男)
- ナッサウ伯フィリップス(四男)
C.3人のナッサウ=ジーゲン伯たちとナッサウ=ディレンブルク伯の集団肖像画
Portret van drie graven van Nassau-Siegen en graaf van Nassau-Dillenburg
フリース博物館 S00026
Bの「ヤン六世の息子たち」の中には描かれていないナッサウ=ジーゲン伯ヤン七世(次男)とナッサウ=バイルシュタイン伯ゲオルク(三男)。そのさらに息子たちの絵です。こちらも制作年代に10年の幅があるのでアルベルトはやや微妙ですが、右3人は既に故人です。ヤン八世に至っては敵方の将軍(だからヤン八世だけ離れて描かれているのかも)なので、ヤン八世がオランダで捕虜になっていた時期でなければ、おそらく画家は全員と会ったことがありません。描かれた年代よりもだいぶ若い頃を想定してあり、Bの「ヤン六世の息子たち」の絵とは違って彼らの実際の年齢差に揃えてあるようです。左から、
- ナッサウ=バイルシュタイン伯アルベルト
- ナッサウ=ジーゲン伯ハンス一世エルンスト(長男)
- ナッサウ=ジーゲン伯アドルフ(三男)
- ナッサウ=ジーゲン伯ヤン八世(次男)
D. ナッサウ=ヒルヒェンバッハ伯ヴィルヘルムの集団肖像画
Group portrait of Willem van Nassau-Siegen
RKDportraits 32662
フリース博物館ではなく、ハーグのノールトエインデ宮所蔵。3名はCに引き続きヤン七世の息子。こちらは逆に面識のあるモデルたちを描いた可能性が高い絵です。ヒルヒェンバッハ元帥はこの中では1人だけ年長組(Cのハンス/アドルフ/ヤン八世と母親が同じ)で、マウリッツ=フレデリクはその一人息子です。ヴィルヘルム=オットーはスウェーデン軍、クリスティアンは皇帝軍に所属しており、マウリッツ=フレデリクは1638年没なので、絵の描かれた時点でヒルヒェンバッハ元帥を除き全員オランダにいるかは微妙なところ。左から、
- ナッサウ=ジーゲン伯ヴィルヘルム=オットー(七男)
- ナッサウ=ジーゲン伯クリスティアン(九男)
- ナッサウ=ヒルヒェンバッハ伯ヴィルヘルム(四男)
- ナッサウ=ヒルヒェンバッハ伯マウリッツ=フレデリク
E. ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン=マウリッツとその弟伯ハンス二世エルンスト
Portret van Johan Maurits en broer Johan Ernst van Nassau-Siegen
フリース博物館 S07487
こちらはファン・ホントホルストの絵画。C、Dに引き続きヤン七世の息子のうち2人をとくに選び出して描いたもの。この2人の共通点は、オランダ西インド会社に雇われて1637年以降ブラジルに派遣されたことで、絵画制作年から判断しても、おそらく渡航前の壮行目的で描かれたものと推測されます。なので画家とモデルたちがリアルタイムでハーグにいたのは確定です。ここに描かれたハンス二世はまだ若年で兄の盾持ちのようですが、この後若くしてブラジルで命を落としてしまうことになります。左から、
- ナッサウ=ジーゲン伯ハンス二世エルンスト(十男)
- ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン=マウリッツ(五男)
F. フリースラント州総督たちの集団肖像画
Groepsportret met de Friese stadhouders
フリース博物館 S07480
時代も30年くらい後でデ・ヘーストの絵画ではありませんが、類似の集団肖像画。ヤン七世の息子のうち中間層と、B-3のエルンスト=カシミールの息子たち。1662年現在で存命なのは右の2名のみ。ヘンドリク一世カシミールの没年齢くらいの若い頃に全員の年齢が合わせてあります。絵画のタイトルおよびナッサウ=ディーツ伯2人を若干大きめにしてあるので、依頼者はナッサウ=ディーツ伯側でしょうか。左から、
- ナッサウ=ジーゲン伯ハインリヒ(八男)
- ナッサウ=ディーツ伯ヘンドリク一世カシミール(長男)
- ナッサウ=ジーゲン伯ゲオルク=フリッツ(六男)
- ナッサウ=ディーツ伯ウィレム=フレデリク(次男)