「八十年戦争期のオランダ軍とフランドル方面軍」にも詳述していますが、オランダ共和国軍の将校のランクは、過渡期ということもありかなり曖昧です。少なくとも17世紀に関しては、トップ・コマンドの陸海軍総司令官 Generaal-Admiraal はマウリッツ以降のオランイェ=ナッサウ家当主と完全に一対一対応ですが、その直下に置かれる「元帥 veldmaarschalk」といえる人物のリストは見当たらなかったので、とりあえずウィレム三世時代までを一覧にしてみました。
第一次無州総督時代には陸軍が縮小され、ナッサウ家の力も削がれたため、「おそらく」元帥は不在です。「誰が元帥か」が探せていない状態で、「不在である」という明確なソースに基づいた記述ではないので、この記事には「暫定版」の但し書きをしています。
初代陸海軍総司令官ナッサウ伯マウリッツの時代から、相変わらず陸軍の高級将校にはナッサウ家の血縁・姻戚が多いです。このリスト内では、自主退役して悠々自適の隠居生活を選んだヨハン=マウリッツ以外は、全員死ぬまで元帥やってます(大変なお仕事です…)。画像は、できるだけMarshall的なタイトルが絵の中に描きこまれているものか、元帥杖を持っているものを選びました。
グレーの文字は、厳密には「共和国軍陸軍元帥」ではありません。マールテン・ファン・ロスムは、「veldmaarschalk」のタイトルを持つ初めての人物ですが、共和国軍設立の二世代前、カール五世によってヘルレ公国がハプスブルク家に併合される前の元帥です。その性質はイタリア傭兵とよく似た雇われ元帥だったようです。ヨースト・デ・スーテはオランイェ公ウィレム一世の暗殺に伴う後任なので、マウリッツが陸海軍総司令になるまでの「つなぎ」(または称号だけはその死まで保持したか)の位置づけと思われます。
ウィレム三世時代も変則的です。イングランド国王即位後から晩年にかけては、それぞれ任期も短く不在・並立時期もあるようです。南の守りとして重要なマーストリヒトの知事を兼ねている場合もあります。
海軍提督2人が名を連ねる「Luitenant-admiraal-generaal」も、陸軍元帥不在時のナンバー2のような意味合いです。無理に訳せば「海陸軍副総司令官」という、日本語としてはヘンテコなタイトルになりそうです。ウィレム三世が急遽州総督および陸海軍総司令官に就任した1672年当時、無州総督時代の陸軍弱体化が祟って陸軍に適齢の人物が居なかったため、一時的に名のある提督を引っ張ってきただけと思われます。そのためこのタイトルは、この2人のみで終わっています。
なお、現在のオランダ王国の軍隊には陸軍元帥にあたるタイトルはありません。20世紀初頭に王令によって廃止されたとのことです。
リファレンス
- “DNB”
- “ADB”
- “NDB”
- クリステル・ヨルゲンセン他『戦闘技術の歴史<3>近世編』、創元社、2010年
- ジェフリ・パーカー 『長篠合戦の世界史―ヨーロッパ軍事革命の衝撃 1500-1800年』、同文館出版、1995年
- 『戦略戦術兵器事典<3>ヨーロッパ近代編』、 学習研究社、1995年