八十年戦争の時代は、軍制改革もあり、火器の運用法が目覚しく発展した時代です。八十年の間に、従来の槍兵と銃兵の割合が逆転するほど、火器が普及することになります。それぞれ詳しく書いていくと長くなりそうなので、ここではウィキメディアの画像を用いて、歩兵・騎兵・砲兵の順にイメージで簡単に追ってみました。装備については「八十年戦争期の軍装」を参照ください。画像はすべて「ウィキメディア・コモンズ」のロイヤリティーフリー画像です。
歩兵
オランダ軍の歩兵教練書ともいえる『武器教練』には、長槍・火縄銃・マスケット銃の使い方が、全117枚の版画でわかりやすく説明されています。いわゆる「パイク&ショット」というのは、この長槍と銃器を効果的に組み合わせた運用方法のことで、オランダの軍制改革(1590年代)期には既に英語で”pike & shot”という記述が見られます。
長槍(パイク)
もとはスイス人傭兵が用いていた長い槍の歩兵。この歩兵を数千人密集させた陣形が、有名なスペインの「テルシオ」です。16世紀には動く要塞として圧倒的な防御力を持ちました。槍の長さは5m前後と、非常に長いものです。
初期のテルシオでは、槍一本あればその一翼をすぐに担えるため、傭兵が用いる武器としても手軽でした。(しかしそれはあくまで、傭兵が自前で銃を持っていない、あるいは銃の訓練を受けていないという意味でしかなく、時代が下るにつれテルシオにも練度の高い「ベテラン」が存在するようになっていきます)。そしてオランダの『武器教練』でも、銃の使用法という機械技術に加えて、この長槍の使い方のマニュアルも載っています。オランダ型陣形の場合、攻撃陣形だけではなく移動陣形も同様かそれ以上に重視されたため、この長い武器を持ちながら機動力を上げることに訓練の時間が割かれたものと思われます。
八十年戦争時代には、中世の馬上槍試合にイメージされるような、騎兵による槍の使用はだんだん廃れてきます。例えば、1590年に敢えて「一騎討ち」の記録が残っていたりするのは、既に槍騎兵同士の激突が戦場では一般的ではなかったことを意味しています。しかしスペイン騎兵(ランセロ)には、槍の使用は1640年頃まで残っていたようです。のち、18世紀頃に槍騎兵が復活しますが、それはまた全くの別物なのでここでは触れません。
矛槍(ハルバード)
長槍よりもずっと短く2m-3m程度。槍の穂先が矛型になっており、突くのがメインな長槍と違って、斬る・引っ掛けるなどのバリエーションがあります。もとは農具から発展したようですね。
教練書にもなく、あまり具体的に言及されることはないのですが、頻繁に使われていることは間違いありません。画像のように、かたちもいろいろです。当時の絵画にも登場機会が多く、各地の博物館に残る現物も長槍に数の上で劣りません。また、長槍が銃剣などに取って代わられて消えていっても、矛槍はまだしばらく残ったようです。
各人それぞれ得意な形状やらこだわりやらありそうで、最もロマンを感じる武器のひとつです。
火縄銃(アルケブス/アークビューズ)
火縄銃はマスケット銃の前段階の小型火器(でも実際持ってみるとけっこう大きい)です。火縄銃が発達してマスケットになるわけですが、1600年前後の火縄銃とマスケット銃の違いはそれほど顕著ではなく、よく混同もされます。あえて違いを挙げるとすれば、火縄銃のほうがやや小型で、威力も低く、火薬量もマスケットより少ないことでしょうか。
使い方は火縄のマスケット銃とほぼ同じです。『武器教練』でもほとんど違いはありません。火薬の携帯方法が違うくらいです。(火薬については下記参照)。
マスケット銃
マスケット銃は火縄銃から発展した小型火器です。火縄銃が発達してマスケットになるわけですが、1600年前後の火縄銃とマスケット銃の違いはそれほど顕著ではなく、よく混同もされます。あえて違いを挙げるとすれば、マスケットのほうがやや大型で、威力が強く、火薬も多量に使います。初期のマスケットは重量も反動も大きかったため、銃架が使われました。軽量化に伴い銃架は使われなくなり、騎兵が持つことも可能になります。17世紀前半には、火縄銃同様にマッチロック式(文字どおり火縄式)のものが広く使われており、フリントロック式(火花で点火する燧石式)の発明はあったものの、まだそれほど普及はしていません。
マスケットの時代は長く、さまざまな改良が施されながら、近代まで使われ続けます。ちなみにデュマの『三銃士』の銃はマスケット銃です。
火薬入れ・薬莢
銃に使われる火薬には二種類あり、火皿と呼ばれる場所で口火を点火する点火薬と、銃口側から詰め砲弾を発射させる役割の発射薬があります。これらは別な火薬入れに入れて持ち運ばれます。上記の画像は火縄銃兵。右足に2つの火薬入れを吊り下げています。銃床に隠れている大きなほうが点火薬、腿のあたりに見える小さなほうが発射薬です。
ベルト状の火薬入れ(火縄もついてます)。これを斜め掛けしたものが下記の画像です。
こちらはマスケット銃兵。斜め掛けしている小さな筒がそれぞれ薬莢で、発射薬が入っています。火縄銃と比べると、1つの薬莢だけで、火縄の発射薬入れの半分くらいの大きさがあります。火力と爆発力が上がったことがわかります。逆に、やはり腿のあたりに見えている1つだけ違う形の火薬入れが点火薬入れです。こちらは火縄よりも小さくなっています。導火性能が上がったということでしょうか。
剣・短剣
このように歩兵の武器は槍か銃ですが、全員が何かしら刃物も携帯していました。上記の後ろ向きの「アルケブス兵」の画像でも、左腰にレイピア(フェンシングで使われるような細剣)を、背中にナイフを背負っています。日本でも、「大小を提げる」という表現があるように武士は二本挿しですが、ヨーロッパでも長短二本の剣を携帯していたんですね。
絵によっては長剣(ブロードソード)のようなものが描かれている場合もありますが、あくまで剣はサブの武器なので、軽さが重要視されたと思われます。長槍にしても銃にしても、咄嗟の機動性にはどうしても劣るので、白兵戦になった最後に命を守る手段ともいえます。DVD『アラトリステ』の白兵戦シーンでも、最終的には長槍を手放してナイフでの応酬になっていました。
この画像は貴族のための学校と思われます。嗜みとして、貴族は必ずレイピアの指導を受けました。『アラトリステ』にもチャンバラシーンが何度かあります。現在のフェンシングもこの流れになります。
騎兵
中世には戦場の花形だった騎兵も、16世紀には模索の時代に入ります。騎兵も火器を使用するようになりましたが、火器自体の重さや使用の困難さが伴い、騎兵の機動性とあまりマッチしなかったといえるでしょう。フランス国王アンリ四世が「古きよきフランス騎兵」の伝統として、剣(サーベル)を復活させてから、若干運用方法も変わってきました。
ピストル・小型火器
ロイテル(蘭)・リッター(独)・ライター(独)など、どれも「騎士」「騎兵」のことです。その国の発音の違いくらいで厳密に意味の違いはありません。この時期の場合は、とくに「ピストル騎兵」を指す場合もあります。とはいっても、オランダ軍制改革前からピストルを装備した騎兵は存在していたので、とくにオランダ特有のものというわけでもありません。
16世紀中ごろから、「カラコール」と呼ばれる騎兵による射撃攻撃がありました。騎兵の機動力を利用して、敵の目前まで近づき、ピストルを一発撃って、すぐに反転して後ろに戻るというものです。確かに、歩兵によるカウンターマーチ(反転行進射撃)と原理は似ていますが、てんでばらばらな散発的襲撃にすぎず、戦術というには逃げの要素が強く疑問が残ります。傭兵が多かった騎兵は、高価な装備や馬を惜しんで、あまり積極的に戦闘参加しなかったがゆえの戦法でもあります。
やがてカラコールは使われなくなっていきますが、騎兵は一発撃って退がるのではなく、連続射撃ができるように、常時2丁のピストルを持つようになりました。馬にも左右2丁括りつけてあります。さらに従者にも2丁持たせて、すぐに交換ができるようにしておくこともありました。
騎兵なので、もちろん馬上の足場の悪い状態ですから、ピストルはマッチロック(火縄)式ではなくホイールロックやフリントロックです。が、騎兵でも、銃架が要らない小型の火縄銃やマスケット(騎銃・カービン)を携行している場合もあります。火種を維持することを考えると、かなり技術と力が要求されそうではありますね。
サーベル
剣を実戦で使用しなくなった現代でも、典礼用として残っているのがサーベルです。中世の剣は幅が広く、斬る・突くよりは叩き割るという代物でしたが、サーベルは装飾の施された柄や優雅な曲線の刀身など、「騎士」的であると解釈されたものと思われます。実際に八十年戦争期に使われたサーベルは、比較的等身がまっすぐのものも多いです。
1590年のイヴリーの戦いでアンリ四世が騎兵による抜刀突撃、「サーベルチャージ」を復活させました。…なんて書くとちょっと華やかな感じですが、本当のところの理由は少し残念なものです。
先王アンリ三世の暗殺によって、タナボタで王位の回ってきたアンリ四世ではありますが、宗教戦争の真っ最中のフランスで、即位即戦争ということになってしまいます。この時点でのアンリ四世はまだユグノーの側で、政治的にも資金面でも地盤の不安定な状態です。正直、当時スペイン兵が用いていた槍騎兵用の槍や、役にも立たないカラコール用のピストルを工面する金銭的余裕はありませんでした。剣ぐらいなら騎兵は自前で持っているでしょうから、それを使って突っ込め!という、ある意味苦肉の策ともいえます。上記の絵だと、手前のアンリ四世は元帥杖ですが、奥のほうの騎兵は皆サーベルを掲げています。
グスタフ二世アドルフも、アンリ四世のサーベルチャージを戦術として使用しましたが、内情はこちらも同じです。小型の貧相な馬しか用意できず、まともな軍装にも事欠くスウェーデン軍では、アラブ馬を揃え甲冑一式フル装備の皇帝軍にぱらぱらとピストルを浴びせてみたところで、その効果はたかが知れています。そこでグスタフ二世アドルフは、騎兵は抜刀突撃の際、馬上の騎兵ではなく馬を狙うように命じました。まさに「将を射んと欲すればまず馬を射よ」そのものです。が、実際の戦闘の様子はそれほど系統だったものではなく、パラメデスの絵のように、ピストルやサーベルの入り混じった乱戦であった可能性のほうが高いです。
竜騎兵
一般的に「竜騎兵」というと、18世紀以降の、エリートの制服を着たカッコいい騎兵のことを指します。八十年戦争期の竜騎兵は、言うなれば「馬に乗る歩兵」です。移動の際に乗り物として馬を使いますが、実際戦う段になると、下馬して歩兵として戦います。(上記の画像もやっとのことで探せました)。そのため、武器も基本的には歩兵同様にマスケット銃などの火力の強い火器を使います。1610年頃に登場し、実際は戦闘に用いられるというよりは、どちらかというと斥候など前衛部隊として使われたようです。
ちなみに竜騎兵の英語表記はdragoonで、そのため日本語でも「竜」の訳があてられていますが、元はオランダ語のdragen(担ぐ・運ぶ・負う/ to take)がなまったものです。「(馬で武器を)背負っていく」という文字どおりの意味だったわけですが、竜(ドラゴン)と音が似ているために、図らずもなんだかカッコいい名前になってしまったものと思われます。
砲兵
大きさがまちまちだった大砲は、1610年頃、まずはスペインで48、24、12、6ポンド砲に規格が統一されます。48ポンドと24ポンドは攻城用に、12ポンドと6ポンドは野戦用に使われます。この規格はすぐにオランダでも取り入れられ、休戦明けには、24、12、6、3ポンド砲とさらに軽量化した4規格となりました。1622年にはこれらの砲をお披露目する軍事パレードもおこなわれています。
野戦砲
オランダは運河が多いので、水路網を用いての進軍が容易な反面、逆に陸地が泥炭や湿地などで砲の運搬が困難でもあり、野戦砲は思ったほど配備されなかったのが実情です。もともと野戦自体が少ないのも理由の一端ではあります。1600年のニーウポールトの戦いで使われた野戦砲はわずか6門、それでもスペイン軍の砲が砂地対策を施しておらず使い物にならなかったのに反して、たった6門でもそれなりの戦力になったようです。
野戦で数十門単位で配備されるようになったのは、スウェーデン軍が3ポンドの連隊砲を量産するようになってからということになります。
攻城砲
攻城砲は1590年に多用されました。1620年以降、48ポンドと24ポンドは軽いほうに統一されていくので、1590-1600年代のものは両者混成か48ポンド砲がメインだったと思われます。やはり水運が活用されましたが、陸地の移動は野戦砲以上に困難が伴い、基本的には複数の馬で牽きました。
臼砲と呼ばれるさらに重量のある攻城専用砲も使われたと思われます。ただ、あまりこの時期の個別の攻囲戦を描いた版画には描かれていません。また、オランダで臼砲が有名になるのは、どちらかといえばオランダ侵略戦争の頃にクーホールン男爵によって軽量化された「クーホルン臼砲」以降のことです。
土木用具
攻囲戦中のオランダ兵士が必ず背中に背負っていたスコップ。土木作業はそれまでは一般兵士の仕事ではありませんでした。が、オランダでは地元の農民を雇ったり、工兵にまかせたりせず、兵士ひとりひとりが日雇いのお小遣いをもらって塹壕や坑道を掘るようになりました。丈夫で重量もあるスコップやツルハシは、いざというときには敵を殴るのにも使えそう(?)。
ナッサウ伯マウリッツのニーウポールトの戦功を称えるパンフレットの挿画。このような寓意画には当人を賞賛するための小道具がたくさん描き入れられますが、左上・右上の甲冑や武器・軍旗のほか、左下には軍楽器、さらに右下には砲に混じってスコップとツルハシも描かれています。1600年までのたった10年の間に、「オランダ軍=スコップ」という認識が既に一般的になっていたことがわかります。
リファレンス
記事中に挙げた参考URL以外については以下のとおり。
- クリステル・ヨルゲンセン他『戦闘技術の歴史<3>近世編』、創元社、2010年
- ジェフリ・パーカー 『長篠合戦の世界史―ヨーロッパ軍事革命の衝撃 1500-1800年』、同文館出版、1995年
- 『戦略戦術兵器事典<3>ヨーロッパ近代編』、 学習研究社、1995年
- マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』、中公文庫、2010年
- ヴェルナー・ゾンバルト『戦争と資本主義』、講談社学術文庫、2010年
- リチャード・ブレジンスキー『グスタヴ・アドルフの歩兵/グスタヴ・アドルフの騎兵』、新紀元社、2001年
- ウェッジウッド『ドイツ三十年戦争』、刀水書房、2003年