アンリ四世 Henri IV de France

King Henry IV of France

Frans Pourbus (1569-1622) In Wikimedia Commons

  • アンリ・ド・ブルボン Henri de Bourbon、フランス国王 roi de France、ナヴァル王アンリ三世 roi de Navarre
  • 生年: 1553/12/13 ポー(仏)
  • 没年: 1610/5/14 パリ(仏)

生涯

1589年よりフランス国王。オランイェ公ウィレム一世の暗殺・イングランドのレスター伯の帰国を経て、オランダ連邦共和国が主権者となった時期とほぼ重なる時期に即位しました。ウィレムがカトリックであるアンジュー公の擁立にこだわったために人気を失ったのとは逆に、アンリ四世はこの時点でフランス・ユグノーの中心人物でもあったため、連邦共和国にとって、フランスを最も重要な同盟国のひとつとするのに問題はありませんでした。もっとも、アンリ四世はその後カトリックに改宗し、スペインとも講和を結ぶようになるため、両国の関係は悪化とまではいかないものの、利害を一致するにはいたらなくなってしまいます。

個人的にオランイェ=ナッサウ家との関係も深い人物です。もともとオランイェ公の妃ルイーズ・ド・コリニーと幼馴染だった関係から、彼女の息子フレデリク=ヘンドリクにフランスでの官職の権利を与えたり、フランスに居住する彼女の義理の娘たちを支援しました。ナッサウ伯マウリッツに関しても、オランダの主権者となるよう再三に渡って提案をしたり(これはその都度オルデンバルネフェルトによって阻止されることになりますが)、オランイェ公フィリップス=ウィレムには結婚相手を自ら紹介したりもしています。

* 各国元首その他オランダ以外を主要な活躍の場としている人物については、サイトの主旨上、オランダと直接関わった事項または八十年戦争(三十年戦争)期間中の行動について記載しています。そのため逆に、その人物の大まかな伝記ではあまり出てこないエピソードがメインになることもあるかもしれません。

DVD『王妃マルゴ』では即位前のアンリが再三登場します。ユグノーの時期はきちんと黒い服を着ていることに注目。

2010年12月、フランス革命時に行方不明となっていた頭部が本物と鑑定されたそうです。
フランス革命時に失われた名君アンリ4世の首のミイラ、死後400年目にして発見される GIGAZINE

リファレンス

記事中に挙げた参考URL以外については以下のとおり。

  • フランソワ・バイルー( 幸田礼雅 訳)『アンリ四世―自由を求めた王』新評論、2000年
  • 長谷川輝夫『聖なる王権ブルボン家』 講談社選書メチエ、2002年