- トゥアール公 Duc de Thouars、タルモン公・タレント公 Prince de Talmont et de Tarente、他
- 生年: 1566 (仏)
- 没年/埋葬地: 1604/10/25 トレモワイユ(仏)
生涯
フランス国王アンリ四世とは、ナヴァール王時代からの友人。ユグノー貴族ブイヨン公アンリ・ド・ラ・トゥール=ドーヴェルニュの従弟でもありますが、本人が改宗したのは1587年になってからと比較的遅いです。はじめはアンリ三世の軍で、ユグノー改宗後はアンリ四世の軍で戦い、クートラの戦い、イヴリーの戦いなどに参戦しました。
ブイヨン公の勧めもあり、ブイヨン公妃エリーザベト・ファン・ナッサウの妹シャルロッテ=ブラバンティナと1598年に結婚、2男1女を設けました。結婚前に庶子も1人認知しています。アンリ四世がカトリックに改宗してからは従兄のブイヨン公とともに何度か謀反を企てていますが、なかでも大掛かりだった「ビロンの陰謀」には、妻シャルロッテ=ブラバンティナの説得により加担していません。
リファレンス
- フランソワ・バイルー( 幸田礼雅 訳)『アンリ四世―自由を求めた王』新評論、2000年
- 長谷川輝夫『聖なる王権ブルボン家』 講談社選書メチエ、2002年
トゥアール公アンリ=シャルル・ド・ラ・トレモワイユ Henri Charles de La Trémoille, Duc de Thouars
- トゥアール公 Duc de Thouars、タルモン公・タレント公 Prince de Talmont et de Tarente、他
- 生年: 1620/12/17 トゥアール(仏)
- 没年: 1672/9/14 トゥアール(仏)
生涯
クロードの直系の孫。母のマリーはラ・トゥール=ドーヴェルニュ家の出身なので、祖母同士が姉妹です。父アンリ三世はラ・ロシェルの戦いを期に子女ともどもカトリックに改宗しましたが、アンリ=シャルルは成人すると、母マリーの影響でユグノーに再改宗しました。1638年からオランダのオランイェ公フレデリク=ヘンドリクのもとで軍事を学びます。
オランダではフレデリク=ヘンドリクの長女ルイーゼ=ヘンリエッタと恋仲になりますが、ルイーゼ=ヘンリエッタの母アマーリアの政略結婚方針のため別れさせられてしまいました。
1648年のミュンスター条約を期にフランスに帰国し、結婚します。 が、その直後、2人の叔父たち(ブイヨン公フレデリク=モーリスとテュレンヌ子爵アンリ)とともに反マザラン派として第二次フロンドの乱に参加、数ヶ月の虜囚を経た後オランダに亡命しました。オランダでは12年ほど軍務に就き、父の病気のため領地トゥアールに呼び戻されます。父親の望みでやはり子女ともども三度めの改宗をしカトリックとなりましたが、それを嫌った妻と長女はオランダに残り、自身はその父親よりも2年早く亡くなることになりました。
リファレンス
- 長谷川輝夫『聖なる王権ブルボン家』 講談社選書メチエ、2002年