Jacobus de Langhe (1693) In Wikimedia Commons 少し後世に描かれたもの。黒一色の鎧のマウリッツの絵画はほとんどない。
日本ではあちこちの博物館や寺社に(なんなら旧家の個人宅にも)戦国時代あるいは江戸時代の鎧が収蔵されています。西洋では割と軍事博物館のような専門の施設に集められている気がします。オランダ国内の一般の博物館ではあまりナッサウ家ゆかりの着用品が多くないので、表題の2点についてまとめてみました。
マウリッツ公の甲冑
In Wikimedia Commons
フルンローの市立博物館がいつの間にか閉館していて、200mくらい先の教会内に「国立八十年戦争博物館」が2025年の4月に開館していました。
Nationaal Museum Tachtigjarige Oorlog
Gotscha Lagidse制作 マウリッツの鎧レプリカ (1997) In Wikimedia Commons
そこに展示されている甲冑は、以前、軍事博物館がデルフトにあった頃(軍事博物館は2014年にスーストに移転し「国立軍事博物館 NMM」になっています)の展示品だったマウリッツの個人鎧(レプリカ鎧)です。新しいスースト軍事博物館では常設展示されていなかったのですが、国立つながりでフルンローに持ってこられたものだと思います。
この甲冑レプリカは、ウィーンの甲冑博物館の所蔵品がモデルです。モデル元の本物は1590年代にハプスブルク家(フェルディナント二世大公)に譲られそのまま現代までコレクションになっています。

Asset number 1252670001 (CC BY-NC-SA 4.0) the British Museum
1603年のフェルディナント二世大公のコレクションカタログ「Armamentarium Heroicum」にもその鎧が描かれています。兜と足鎧部分が床に置いてある状態です。
こちらウィーンの甲冑博物館の所蔵品リンク。
Reiterharnisch (Küriss), Moritz Sohn des Wilhem von Oranien
このレプリカ鎧制作の7年後、ナッサウ伯マウリッツの子供時代の鎧のレプリカも制作されており、鎧の制作者「Gotscha Lagidse」のサイトに詳細が記載されています。こちらも同じく軍事博物館の所蔵のはずです。
Het harnas van prins Maurits
Creations and realisations of Gotscha, Sculptor-Blacksmith in
Gotscha Lagidse制作 マウリッツの子供用鎧 (2004) In Wikimedia Commons
マウリッツの子供用鎧はこの12歳時の肖像をもとにしています。この肖像画は王宮の所蔵品ですが、過去にフルンロー市立博物館に訪問した時にも同じ肖像の写しがありました。
Daniël van den Queborn (1579) In Wikimedia Commons
時期について
今回きちんと見てみましたが、1590-1595年(フェルディナント二世大公の没年が1595年)の間に譲られたもの、ということで、マウリッツが20代半ばくらいのものでしょうか。ちょうど「マウリッツの十年」と呼ばれる軍制改革直後のブイブイいってる時期のものです。細身な鎧なのもまだ若い頃のものだからでしょう。甲冑博物館の鎧は、胸部のみ後に制作されたレプリカです。胸中央の試し撃ち跡までがきっちり再現されています。カタログ内の床に置かれた状態で描かれたパーツは、当初から一部欠品していた可能性もあるとのこと。
サイズについて
以前みたカタログではこの鎧、着用時で175cmとなっていました。現在の博物館のサイト上では171.5cmと記載があります。全身鎧ではないため、膝下の長さの見積もり方で数センチの誤差は出てしまいますが、マウリッツ公の身長はだいたい170cm台前半ということになりそうです。重さは22.45kgです。
色について
所蔵品写真では灰色っぽく見えますが、鉄を黒染めしたものです。これは八十年戦争博物館のレプリカの写真のほうが実物の色に近いかもしれません。ニーウポールトの戦いの後の絵画に描かれるマウリッツは大抵金色鎧を着ていますが、本人は黒を好んでいたとのことで、議会から贈られた金色鎧はおそらく、とくに戦場のような目立つ場所では着ることはなかったでしょう。
After Michiel Jansz. van Mierevelt (afer 1607) In Wikimedia Commons 1600年以降のマウリッツの肖像画はだいたいこんな黄金鎧がデフォルトです
オランダはカルヴァン派が大勢を牛耳っていたので、衣服も黒一色が好まれました。甲冑も同様のトレンドだった可能性はあります。
制作地について
所蔵品の説明には、兜/肘/膝のデザインからオランダ様式を示すと記載してあります。軍制改革時代のオランダは割と地産地消で、統一規格の武器も国内で製造させています。制作の小回りがきいて納期の調整もききやすいということもありますが、「反乱」が落ち着き商業的に発展しつつあったオランダでは、原材料を安く仕入れたり職人を抱えたりするのが比較的容易になっていたのではないでしょうか。
NMMの壁一面に飾られたラーフェステイン作の肖像画 In Wikimedia Commons
画家ラーフェステインの描く将校たちの肖像は、皆一様に似たような、装飾の少ない黒の甲冑を着用しています。マウリッツ同様、将校たちもオランダ国内で鎧を調達していたものと思われます。
エルンスト=カシミール伯のバフ・コート
バフ・コート In Wikimedia Commons
帽子と弾丸 In Wikimedia Commons
マース川沿いの遠征(1632)でも挙げましたが、エルンスト=カシミールの戦死したルールモント攻囲戦で彼が着用していたバフ・コートと帽子、そしてその命を奪った弾丸がアムステルダム国立博物館で展示されています。
時期について
ストックホルムの王立武器庫所蔵 In Wikimedia Commons
1630年頃から金属製の鎧に代わって爆発的に普及したのがバフ・コートです。とくにヘラジカの革製のものは、時期と材料的にスウェーデン軍の影響が大きいでしょう。画像はスウェーデン国王グスタフ二世アドルフのバフ・コート。
サイズについて
ウールのフェルト製、絹や金糸銀糸も使われています。丈103cm、肩幅48cm、身幅52cm。エルンスト=カシミールは集団肖像画でもやや小柄に描かれていますが、外套の身幅でこのサイズだとけっこう細身ですね。
色について
Wybrand de Geest (1630-1635) In Wikimedia Commons
エルンスト=カシミールの肖像画でバフ・コートを着ているのはこれ1枚です。ウールにしてもヘラジカにしても実際の色はグレーのようですが、絵画に描かれるバフ・コートはかなり黄色みが強く描かれているものが多く感じます。また、ウール製の所蔵品は劣化のためベージュっぽくなっています。


