ナッサウ家の紋章

Staten-Generaal

オランダ共和国紋章。ナッサウ家と色違い(正確には違いますが)なので覚えやすいです。 このページの画像はすべてWikimedia Commonsより

西洋紋章学は、非常に奥深く難しい学問のひとつです。西洋史をやっていて「まったくわからない」というわけにはいかないけれど、いったんはまると大変なので、とりあえず、下記の『西洋の紋章とデザイン』、余力があれば同じ著者の『紋章学辞典』あたりで基本をおさえておくと良いかと思います。

『西洋の紋章とデザイン』

  • 著者: 森 護
  • 出版社: ダヴィッド社
  • サイズ: 単行本
  • ページ数: 344p
  • 発行年月: 1982年01月
  • 定価: 3,465円

ところでこの『西洋の紋章とデザイン』のいちばん面白いくだりは、実は紋章の誤用・盗用について書いてあるところだったりします。オランダ王国の紋章も、過去に日本のあるネクタイメーカーが丸パクリして問題になったことがあったそうです。

共和国期のナッサウ家の紋章

ナッサウ家

Armoiries de Nassau 1

ナッサウ家のもとの紋章は、青(ナッサウブルー)に黄色の木の札を配したベースに、金色のライオンです。12世紀のはじめごろからあります。これが時代を経るにつれ、婚姻・分家・継承などなどで変遷していきます。

ナッサウ=ディレンブルク家

Nassau-Dillenburg-1559

ナッサウ家は13世紀にヴァルラム系とオットー系に分かれますが、現在のオランダ王家の始祖となったのは後者のオットー系です。16世紀のウィレム・デ・レイケ(ウィレム沈黙公の父)の時代までに、フィアンデン(左下)、ディーツ(右下)、カッツェンエルンボーゲン(右上)を加え、上記のような4分割の紋章になりました。このサイト内の時代(16世紀~17世紀)のオットー系ナッサウ伯は、このナッサウ=ディレンブルク伯の4分割紋章を基本にもつことになります。「オランイェ=ナッサウ家家系図」も参照ください。

オランイェ=ナッサウ家

Nassau-Oranien-1702 Nassau-Oranien-1581

先のナッサウ=ディレンブルク伯の紋章に中央に配された小さな紋章が、オランジュ=シャロンの紋章です。先代のルネ・ド・シャロンよりオランイェ公を継承したウィレム沈黙公以降、これがオランイェ=ナッサウ家の紋章のベースとなります。右は1582年以降に使われた、上下にフェーレとビューレンを加えたもの。マウリッツを除く共和国時代のオランイェ公は、基本的にこのいずれかを「オランイェ公」の紋章として用いています。

マウリッツとフレデリク=ヘンドリクの個人紋章

Nassau0Oranien-1618 Oranje Frederik Hendrik personal before prince alt

マウリッツ(左)とフレデリク=ヘンドリク(右)がオランイェ公時代に使用した、さらに4分割された個人紋章です。中央に配されているのはそれぞれの母方(ザクセンとコリニー)の紋章。それ以外はきれいに左右対称です。4分割した場合の優先順が最も高いのは左上ですから、マウリッツは「ナッサウ伯」に、フレデリク=ヘンドリクは「オランイェ公」に重きを置いたことがわかります。(マウリッツはオランイェ公継承後もナッサウ伯時代の個人紋を変更せず、自分からもあまり「オランイェ公」を名乗っていません)。

Oranje Frederik Hendrik personal before prince Nassau Oranje William II as Count of Buren

フレデリク=ヘンドリク(左)およびウィレム二世(右)のナッサウ伯時代の個人紋。中央以外マウリッツと同じです。オランイェ公を継承してから、ナッサウとオランイェの位置を逆転させているわけですね。

オランダ国王ウィレム一世の紋章

Nederlanden-1813

オランダ国王ウィレム一世が、国王になる直前の「主権君主 Soeverein Vorst」時代に2年間だけ使用していた紋章。連邦共和国の紋章とオランイェ=シャロンの紋章を4分割ベースとし、中央にはナッサウの紋章がオンされています。共和国時代の祖先・マウリッツとフレデリク=ヘンドリクを偲んでこれらのモチーフを採用したとのことです。ロマン主義ぽいエピソードです。

さらに詳細は下記のリンクから。画像つきなのでわかりやすいかと思います。

騎士団員章

紋章は、もちろん家の紋章でもありますが、基本的には個人個人で持つものです。紋章の図案そのものからも個人の特定ができますが、さらに本人の持つ騎士団員章や所属する騎士団の紋章を添えることで、個人を明確にする場合があります。

騎士団の性格にもよりますが、16~17世紀の場合では、複数の騎士団に所属している人物は比較的少数派だと思います。当時の騎士団については「八十年戦争期の金羊毛騎士とガーター騎士」も参照にしてください。

Robert Dudley, 1st Earl of Leicester, Collection of Waddesdon Manor

レスター伯ロバート・ダドリーの肖像画です。複数の騎士団に所属している少数派人物のひとり。左右に同じ個人紋章が描かれており、それぞれフランスのサン・ミッシェル騎士(左)、母国イングランドのガーター騎士(右)のモチーフで囲まれています。身に着けているペンダントは、ガーター騎士の聖ゲオルギウスのモチーフのものです。

Nassau-Diez-1640

クイズです。誰の紋章でしょう? 6分割されていますが、上部の4つは上掲のナッサウ=ディレンブルク。下部に母方から継承したシュピーゲルベルクと、購入で取得したリースフェルトを加えた、ナッサウ=ディーツ家の紋章です。中央にドイツ騎士団(チュートン騎士団)の紋章が配置されていることから、ドイツ騎士団ユトレヒト・バレイ長ナッサウ=ディーツ伯ウィレム=フレデリクのものとわかります。

このように紋章内に、所属や職位をあらわす紋章を組み込むこともあります。

Brasão de armas do Príncipe Maurício de Nassau-Siegen

クイズその2。これもベースはナッサウ=ディレンブルク。バックに大きなマルタクロス(ヨハネ騎士団章)、その前にはエレファント騎士の水色サッシュと象のかたちの団員章が掛けられています。ヨハネ騎士(ブランデンブルク・バレイ長)とエレファント騎士を兼ねていた、ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン=マウリッツをあらわしています。

リファレンス

記事中に挙げた参考URL以外については以下のとおり。

  • 森護『紋章学辞典』大修館書店、1998年
  • オットー・ハップ『ドイツワッペン』京都書院、1992年