カリニャーノ公トンマーゾ=フランチェスコ Tommaso Francesco di Savoia, Principe di Carignano

Tomasso Francisco savoycarignano

Van Dyck (first half of 17th century) In Wikimedia Commons

  • カリニャーノ公 Principe di Carignano、ソワソン伯 Comte de Soissons
  • 生年: 1596/12/21 トリノ(伊)
  • 没年: 1656/1/22 トリノ(伊)

生涯

カルロ一世エマヌエーレの末子で、母はスペイン王女カタリーナ=ミカエラ。のちのプリンツ・オイゲンの祖父にあたるサヴォイア家の人物です。20歳で初代カリニャーノ公となりますが、名前だけで収入等の実は伴っていませんでした。父カルロ一世エマヌエーレのどっちつかず外交の結果として、若年期からスペインのイタリア方面軍で教育を受けるものの、フランス王家に近いブルボン=ソワソン家のマリー(アンリ四世の従弟の娘)と結婚しています。

トンマーゾの軍事キャリアは、1630年から父が介入したマントヴァ継承戦争が最初です。この時、のちのフランス宰相マザランと会っているようです。この年、父の死に伴って長兄ヴィットーリオ一世アメデーオがサヴォイア公を継ぎますが、2年後のケラスコ条約でフランス側から不利な条件を飲まされてしまいます。そのためこれ以降、兄のマウリツィオ枢機卿とともにスペイン軍に正式に士官しますが、スペイン・フランス両王家とつながりがあるため信用されず、妻子を人質としてマドリードに送ることを強制されたりもしました。枢機卿王子フェルナンドが南ネーデルランド執政となった1634年以降、トンマーゾもフランドル方面軍に転戦となり、1635年、三十年戦争へのフランス介入以降、主にフランス⇔南ネーデルランド国境でフランス軍相手に戦いました。神聖ローマ皇帝軍のピッコロミーニ将軍との共同戦線が多かったのですが、あまり仲は良くなかったようです。

1637年、長兄ヴィットーリオ一世アメデーオが急死すると、その妃でルイ十三世王妹クリスティーヌが息子カルロ二世エマヌエーレを立てて摂政となります。マウリツィオ枢機卿とトンマーゾはこれに異を唱え、スペインの助力で軍を出し、トリノを包囲します(1639-1642年「ピエモンテ内戦」)。トリノを開城させたもののその実権を握ることはできず、マウリツィオ枢機卿とトンマーゾはフランスと交渉を余儀なくされます。とくにトンマーゾは妻子がマドリードに居るためにその立場が難しかったのですが、リシュリューとマザラン2人の巧みな懐柔によって、兄弟はフランスと和平を結び、これ以降はフランス軍に士官して、おもにイタリア戦線でスペイン軍相手に戦うことになりました。

1641年に戦死した義兄ルイの後を継ぎ、同年より妻とともにソワソン伯も名乗りました。フランス転向後は一貫してマザラン派としてフランス王権に仕えています。

リファレンス

ヘンティは小説。

  • ウェッジウッド, C.V. (瀬原義生 訳)『ドイツ三十年戦争』刀水書房、2003年
  • NDB
  • Tommaso Francesco di Savoia
  • G.A. Henty Won by the Sword, 1900