- 神聖ローマ皇帝 Römisch-deutscher Kaiser ボヘミア王(ハンガリー王、クロアチア王等) König von Böhmen, etc. オーストリア大公 Erzherzog von Österreich ほか
- 生年: 1527/7/31 ウィーン(墺)
- 没年/埋葬地: 1576/10/12 レーゲンスブルク(独)/聖ヴィート大聖堂(ボヘミア)
生涯
スペイン国王と神聖ローマ皇帝を兼ねたカール五世ののち、スペイン国王位は息子のフェリペ二世に、皇帝位は弟のフェルディナント一世に譲られました。マクシミリアンはフェルディナントの長男。
ネーデルランドの「反乱」に対しては、1575年にスペイン側諸州と反乱諸州間で行われたブレダ和平交渉に介入していますが、これは失敗に終わっています。
本人はこれ以外にあまりオランダや八十年戦争と関わりは持ちませんでしたが、その子女が間接的に関わってきます。プロテスタントに同情的だったといわれ、それが領邦間や諸外国間だけでなく、家族間の諍いの原因にもなりました。おかげで息子たちは互いに非常に仲が悪いです。
- アンナ スペイン国王フェリペ二世妃
- ルドルフ二世 神聖ローマ皇帝
- エルンスト 南ネーデルランド執政
- マティアス 神聖ローマ皇帝
- マクシミリアン三世 ドイツ騎士団総長
- アルプレヒト七世 南ネーデルランド執政
* 各国元首その他オランダ以外を主要な活躍の場としている人物については、サイトの主旨上、オランダと直接関わった事項または八十年戦争(三十年戦争)期間中の行動について記載しています。そのため逆に、その人物の大まかな伝記ではあまり出てこないエピソードがメインになることもあるかもしれません。
リファレンス
- 1911 Encyclopædia Britannica
- 瀬原義生『皇帝カール五世とその時代』、文理閣、2013年
- 藤田一成『皇帝カルロスの悲劇―ハプスブルク帝国の継承』、平凡社、1999年
- 江村洋『カール五世―ハプスブルク栄光の日々/カール五世―中世ヨーロッパ最後の栄光』、河出書房新社、2013年